日曜日の散歩者 わすれられた台湾詩人たち
(日曜日式散歩者/Le Moulin)
story
1930年代、日本による植民地支配が40年近く経過した台湾は、安定した同化の段階に入っていた。この時期に、台南に登場したのがモダニズム詩人の団体「風車詩社」だ。メンバーは日本語教育を受け、日本留学も経験したエリートたち。日本語で詩を創作し、若きシュルレアリストたちの情熱が育まれていった。
主要メンバーは楊熾昌、李張瑞、林永修、張良典。日本へ留学中の林永修は、日本近代詩の先駆者であるモダニスト西脇順三郎など、日本の文学者たちと交流。最先端の文化や芸術に触れ、その様子を伝えてきた。マルセル・プルースト、ジャン・コクトーなど、西洋モダニズム文学に大きな憧れを抱いた彼らは、日曜になると古都・台南を散歩しながら、シュルレアリスム詩について語り合った。
母国語でない日本語で詩作することへの葛藤と哀しみを抱きつつ、彼らは自分たちの台湾文学を築こうと、同人雑誌「風車」を創刊する。しかし、当時の台湾ではプロレタリア文学が主流であり、彼らのシュルレアリスム詩は理解されず、風車詩社は1年半で活動を終える。
1937年、盧溝橋事件をきっかけに日中戦争が勃発。日本の敗戦を経て、戦後は蒋介石の中国国民党による独裁時代へと移っていく。1947年の二二八事件では、風車詩社の楊熾昌と李張瑞が無実の罪で投獄され、1952年には白色テロによって李張瑞が銃殺された。新しい台湾文学を築こうとしたシュルレアリスム詩人たち。彼らの足跡を貴重な資料映像と詩、再現ドラマで綴っていく。
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