ではなぜ、端午節にこのちまきを食べるようになったのでしょうか。話は今から2000年以上も昔の戦国時代にさかのぼります。楚という国に屈原(ジュユエン)という人がいました。彼は大変有能な人であり、また大変な愛国者でもありました。社会が大きく変化しようとしていたこの時代に彼は国を想い、さまざまな革新的な提案を重ねていくのですが、いつの時代にもそれをよく思わない人物が存在します。楚の王はそれらの者の言葉をうのみにしてしまい、屈原を楚から追放してしまいました。
屈原は悲しみと憂いの中、彼の心の中の愛国心にかきたてられていくつもの詩を詠みます。しかし楚は戦いに破れ、滅びるのは時間の問題となってしまいました。そしてとうとう屈原はそのすべての想いを道連れにして、端午の日に河へ身を投げてしまったのでした。そのことを知った楚の人々が河へ集まり舟を出し、彼の遺体を探すのですが、見つけることはできませんでした。そこで、せめて彼の遺体が魚やエビに食べられてしまわないようにと祈り、竹の筒に米を入れたものを河へ投げ入れました。
ですが、この米を河に住む龍に盗まれてしまうので、龍の嫌うにおいのする葉でこれをくるみ、邪気を祓うと言われている五行を表す五色の糸でくくるようになったのが、今のちまきの始まりだと言われています。ちなみにこの時の、遺体を舟で捜索したことが、ドラゴンボートレースの始まりだと言われています。
さあ、最後に話を日本にもどしてみましょうか。日本で端午の節句に食べる祝い菓子といえば「ちまき」。と言い切りたかったのですが、今回このお話を書くにあたって日本人の友人と話をしていたら、おもしろいことがわかりました。私は大阪人なので端午の節句=ちまき(上新粉ともち粉をあわせたものを熊笹の葉でくるんで蒸したもの)という構図が頭にあったのですが、これが全国区のものではなかったのです。
平安時代に宮中の儀式で使われるようになったといわれているこのちまき。関西を中心に広まっていったそうですが、なんせ現代とはモノの伝播形態が大きく異なる昔の話。日本全国には広まらなかったようで、東の方では柏もちを食べるところが多いのだそうです。ですが、京の都から船でいろいろなものが伝わった日本海側では、東といえどもこのちまきと同様のものを食べる習慣があるようです。
さて、あなたのお宅ではどのちまきを召し上がりますか? 今年の端午節は6月22日です。
●from 上海在住の二姐:profile
上海人の夫を持つ大阪人。街を探険するのが大好きで、地図とデジカメをかばんに忍ばせてあちこち歩いてまわっています。めまぐるしく変化し続けて街のにおいを失いつつある上海の、あちこちに残る「上海くささ」をお伝えできれば嬉しいなあと思います。
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