奇跡は起るものではなく起すもの
ミュージカル『私たちの旅路』奮闘記
2006年4月12日
3月7日から10日まで、上海戯劇学院という大学の小劇場で、学生たちの手による日中友好オリジナル・ミュージカル『我們的旅程/私たちの旅路』が上演されました。大学の劇場で学生が舞台に立つと聞けば、ちっとも珍しくないじゃんと思われることでしょう。けれどこの舞台、他の作品とはちょっと違うのです。
それは、たった一人の日本人留学生の想いから始まりました。彼女の名前は井上明子さん。幼い頃からクラシックバレエを学び、劇団での活動経験もあり。高校は全国的にも有名な兵庫県立宝塚北高校演劇科。ずっと演劇芸術の世界で育ってきました。後に大学で国際コミュニケーションを学んでいた彼女は、中国語を学ぶために留学を考えます。さらに、自身が歩んできた舞台演劇の道を通して中国文化に触れることができれば、と上海戯劇学院で学ぶことを決意します。
日本の大学を休学して留学し、2004年2月から半年間は中国語を勉強。その後、9月から舞台監督など演劇に関する勉強を始めた井上さんには、だんだんと中国人の友人が増えていきました。一方で、TV『奇跡体験!アンビリバボー』(2005年2月17日/フジテレビ)でも放送されたことがある、神戸で上演された震災復興のためのミュージカル『栄光の果てに…』の報道記事を読み、彼女は大きな刺激と感動を受けます。傷ついた心をミュージカルで癒す、それは同じ演劇にたずさわる彼女の目の前に開かれた大きな道であり、憧れにもなりました。
以前から大学の友人たちと作品を創りたいという話はしていたものの、特別な目的で企画を考えていたわけではありませんでした。しかし、井上さんが上海で学び始めてから後、日中関係はどんどん緊張していきます。彼女はそんな冷えきった人々の心をミュージカルで癒し、氷を溶かしていくことはできないかと考えたのでした。
井上さんの胸の中で熱くたぎってきたこの想いを、たくさんの友人たちが支えていきました。上海戯劇学院の仲間たち、宝塚北高校演劇科時代の仲間たち。1つの舞台を上演することが容易でないことは、彼女も知っていました。それでもなんとかできる、と思っていました。
ですが現実の壁は厚く、スポンサーを探そうにも学生の話にはなかなか耳を傾けてもらえません。運良く話を聞いてもらえても、甘さや曖昧さを指摘されるだけで、アドバイスをくれるような人は皆無に等しい状態でした。井上さんは自分の甘さをいやというほど思い知らされ、身も心もへとへとになります。
でも、彼女は一人ではありませんでした。井上さんが信頼し声をかけた仲間たちは、皆、彼女を信頼していました。もはやこの舞台は彼女一人の夢ではなく、みんなの夢となっていました。しかし、相変わらずいろんな壁が立ちはだかり、なかなか思うように進みません。自分たちに大きな力があるわけでもなく、マスメディアの力も動かせない彼女たちにとって、この勝負は無謀ともいえる状態にありました。
そんなある日、井上さんは日本から送られてきた谷村新司氏のドキュメンタリー番組を見ます。ご存知の方もいると思いますが、谷村さんは現在、上海音楽学院で教鞭をとることで、日中友好の道を紡いでいこうとしています。彼女は深い感銘を受けました。そして友人のつてをたどって、とうとう彼にたどり着いたのです。
井上さんたちの行為がただの思いつきや勢いだけでやっているのではない、ということをすぐにわかってもらえたのでしょう。谷村さんと上海音楽学院谷村新司音楽工作室から無償サポートを受けることになり、これでやっと、若い人たちの頑張りを支える大きな力を得ることができました。さらには、日本のマスメディアにも取り上げられるようになりました。
しかし今度は、題材の問題が浮上していました。最初に用意していた話は、戦争のせいで離れ離れになってしまったカップルが孫を通して天国で再会する、という内容だったのですが、わずかであっても日中関係にとって敏感な部分にふれる題材というのは障壁が多すぎ、このままではたとえ資金を集めることができたとしても上演は不可能だ、というところまで追いこまれてしまいました。
井上さんたちを応援してくれる人々は、谷村新司氏だけではなく大学の先生の中にも存在しましたが、反日デモが行われるなど緊張が続く中で、戦争を題材にしたままでは上演ができない、という声はもう消すことができませんでした。
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