Q:先ほどの中国の『山月記』というのは?
監督「これは大変ですよ。司馬遷の時代ですからね。人間が虎になっちゃう話なんです。自分が営利営欲を求めたが故に発狂してしまい、素っ裸になって走っている内に自分が虎になっているのに気づくというお話です。出世した役人が詩作をしていて、自分が作った詩を後世に残したいという欲があったんですね。それに溺れて狂ってしまい、走りながら虎になってしまう。その時、役人の親友と出会って、虎が殺そうとするんだけど、その瞬間に彼が親友だというのに気づいて逃げるんです。その時、自分は虎になってしまったので、これから崖の上に登って泣叫ぶからそれを後世に伝えてくれと、親友に頼むんです。それで、親友は虎が崖の上で吠えている姿を見て涙を流すという、素晴らしい物語です」
Q:映像にすると難しそうですね。
監督「難しいんですよ」
Q:でも、面白そうなお話なので、挑戦しがいがありそうです。
監督「これを現代に置き換えられないかなと。いつかこれをやってみたいと思っています」
Q:『チョルラの詩』は詩をテーマにした、ちょっと昔のお話ですよね?
監督「80年代ですね。ああいう、詩をモチーフにした三角関係っていうのは日本では絶対企画が通らない。文芸的というかピュア過ぎるお話にはお金が集らないんです。あの時は、韓国映画がなぜ流行っているのかと思って見てると、バカが付くほど純粋な物語をやってるんですよ。なんで皆がそれに惹かれるのかと考えた時、それを求めている方たちがいるんですね。その清潔感とか純粋さとか、人間関係の真摯さを求めている。そういう人たちがいるのに、なんで日本ではできないんだろうと思って。昔の松竹の映画とかにはあるんですよね。それがなぜ日本ではできないのかというと、若者たちにはそういう感覚はないし、市場原理の中では物語になりにくい。それで、韓国の『チョルラの詩』の話が来た時に、僕がやりたいことをやろうと思い、ああいう形になったんです」
Q:脚本は別の方でしたね。
監督「プロデューサーの方が書いたのですが、在日韓国人の男の子の話というのは僕が加筆して社会性を加えました。80年代の韓国の若者たちは頑張らざるを得なかった、民主化を自分で勝ち取らねばならなかった、というバックグラウンドをちょっと足しました。単なる三角関係ではなくて、もっと幅広いものにしたかったのです」
Q:2つの作品は色合いがぜんぜん違いますね。暖色と寒色というか、どちらもしっとりしているんだけど、景色の色合いが違いました。
監督「それは多分、土地が持っているものでしょう。自然にそうなったというか、あそこ(全羅南道)自体が韓国の中でも開発が遅れていて、一番寂れている部分なんだけど、韓国の魂が一番宿っています。『風の丘をこえて』という映画の舞台で、パンソリなんかも生まれている場所です。そういった土地の持っている力なんじゃないですかね」
Q:そういう土地土地の色合いをうまく出していける監督さんではないかと思います。
監督「ぜひ、そうなりたいですね」
Q:ぜひ日本でも撮っていただきたいですが、これからはどういうテーマで撮る予定ですか?
監督「やはり、外国の人たちとやっていきたいので、特にアジアとやりたいというのは大きな選択肢として1つあります。ただ、日本でもやりたいと思っています。例えば今考えていることは、中国残留孤児で日本に戻って来た方々の息子さんたちが残留孤児2世としているんですが、彼らのアイデンティティは日本人でも中国人でもないと悩んでいるところがあって、そんな彼らが日本の田舎に入っていって何かをする、とか。ブラジルから日本にたくさん出稼ぎで入ってきている方たちの中で、ブラジルというのはどういう社会を作っていくか、どういうアイデンティティになるか? もともとは、100年前に日本からお祖父さんたちが移民して、帰って来た自分たちは孫なんだけど、どうして私は日本人じゃなくてブラジル人なんだろうか?とか、すごく面白いと思うんですよね。日本で設定するなら、そういう方々のアイデンティティを探すというのが面白いと思うので、ドラマとしてやっていきたいですね」
Q:やはり海外でやってきた経験が生きていますよね?
監督「そうですね。日本の人は日本人は何者なのか自分でもっと問い直した方がいいと思いますね。それは、僕自身の探究でもあるんですけど」
というところでタイムアップ。今回は監督の今後の方向性なども伺える、興味深いインタビューとなりました。海外で気づいた自らのアイデンティティを源流に、複数のアイデンティティを持つ人々に焦点をあてた人間ドラマをこれからも探究していかれることでしょう。今後の作品にも注目していきたいと思います。
(2009年3月31日 ビターズ・エンド本社にて)
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