●アジアの音楽を伝えていくこと
そうして見つけたアジアのいい音楽やいいものを、日本に紹介していくのがお仕事ですよね?
S「当時はNHKの番組もなかったし、『ポップアジア』もまだできてなくて。ただの音楽評論家です!って言っても、なんだこの女は?て皆思ったと思うんですよ。」
どういう媒体で紹介されていたんですか?
S「『ミュージック・マガジン』には書いてたし、新聞や『CD Data』とか音楽専門誌のワールド・ミュージックのところとか…後、NHK-BSで『真夜中の王国』の前の時からずっと紹介してましたね。衛星放送に出ると、アジアって衛星が見られるので『出てたでしょ?』て言われることが多くなったかな。後は、ラジオ番組をレギュラーでやってたくらい。だけど、そんなに仕事にはならなかった。」
となると、アジア以外のものもやってらしたんですね?
S「いわゆるワールドも、ラテンも含めやってました。ところが、アジアのニーズがだんだん多くなってきて。別に私の気持ちがアジアにいったからというのではなくて、業界的にアジアのニーズがあがってきたんです。」
『ポップアジア』誌をつくることになったきっかけは?
S「始めたのは95年ですね。ちょうどあの時に、アイ・ジン(艾敬*)がブルース・インターアクションズ(最初の発行元)から『私の1997』というCDを出したんです。それが思いのほか売れたので、本も立ち上げるかという話になり、ライターの先輩だった井上厚さんが立ち上げました。」
●ポップアジアの編集長に
S「『ポップアジア』は私が立ち上げたのではないのです。最初は大須賀猛さんというライターが編集長でスタートしました。それで季刊で4号まで出して、1年過ぎた頃に大須賀さんが辞めることになった。どうしよう?てことになり、井上さんから相談されて『もったいない。せっかく始めたんだから…』と言ったら『関谷、やる?』と。私はプロの編集者ではなかったし、よくも私ごときに任せたもんだなと思うんですが、『じゃあ、やるだけやってみます!』て感じで、ほんとに私一人で始めたんです。」
当時、編集部には何人くらいいらしたんですか?
S「ほとんど一人。で、大須賀さんは男だからやっぱり、1号から4号まで全部女の人が表紙だったんです。これだけ変えていい?て言って。香港は当時とても力があったので、香港の男性スターを表紙にしていくことにしました。それで、ジャッキー(張學友)は中華圏では一番リスペクトされているし、なにはともあれ、最初の号の表紙*はジャッキーにしようと思った訳です(笑)。日本ではまだ、ちょっと知名度がなかったけどね。その次はアンディ(劉徳華)にして、四大天王にいって…。」
路線は間違ってないですよね。
S「女の人は絶対裏切らないからと思って(笑)。それからずっと、ほとんど一人でやってきて、4年くらい経ったら、『ポップアジア』とNHKの番組以外は何もできなくなり、さすがにこのままではどうしよう…と考えて、今いる二人に入ってもらいました。一人は『ミュージック・マガジン』の編集部にいた人でアジアをよく知っている人。もう一人は、編集部に尋ねて来たことが縁で入ってもらった人。とても頑張り屋さんです。
少人数だけど、家族みたいなんですよ。喧嘩みたいなミーティングをやるし、話し合う時は言いたい放題です。でもその分、風通しがいい。皆がやりたい雑誌をつくることをモットーに、このメンバーで4〜5年が経ち、今年の春には50号記念号*を出すことができました。」
『ポップアジア』はいろんなアジアの音楽を紹介している唯一の雑誌ですし、ビジュアルだけに頼らず記事もしっかりしていて、アーチストに密着した丁寧な取材がされていると思います。これはやはり、長い間続けてこられた積み重ねの成果ですよね。
S「日本の音楽業界で音楽評論家をやってきたので、ルールは守ろうと思いました。写真素材などの著作権も守るし、インタビュー内容もちゃんと日本の音楽業界の常識をふまえたものにしています。アジアでちゃんとした仕事をしていくことで、アジアのアーチストだけでなく、スタッフやマネジメント、レコード会社との信頼関係を築くことができました。なので、今ではどこでインタビューをしても大丈夫だし、『ポップアジア』はいい加減なことはしていないと信頼してもらえているんです。」
雑誌を作っていく上で気をつけておられることはありますか?
S「いっぱいいっぱいにならずに、楽しんでやってます。ほんとに好きなことをやってるんだという気持ちで。そういうミーハーな気持ちの部分と、ちゃんと紹介する部分のバランスはとるようにしています。読者にとっては、あまり評論ぽくなっても嫌だろうし。その辺のバランスには気をつけています。」
今人気のある所だけでなく、アジア各地の情報を取り上げていますよね?
S「これも、各地の友達が助けてくれるからできるんです。とにかくアジアは人間関係ですから。今までのことが助けになっています。それと、あんまり枠を決めたくないんですね。枠を決めるとつまらない。なんでもできる状態にしておきたい。今、アジアはだんだんボーダーレスになってきていて、もう香港も台湾も中国も、それに韓国も、映画にしても音楽にしても、境界がなくなってきています。だから、なんでもできるようにしたいんです。」
でも、読者は好きな所だけを見がちですよね。ジレンマはありますか?
S「あるある。韓国だけやってると、香港のファンがもっと香港のことを載せて〜、とか。」
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