●Asicro People ではアジアと日本をつなぐ様々な活動をしている方たちをご紹介していきます。
file no.4
橋本光恵さん(アジポップ編集長)
アジクロピープル再スタートです! 今回、ご登場をお願いしたのは、ポップアジアと並んでアジア専門誌の草分けとなったアジポップこと、アジアン・ポップス・マガジン(以下、アジポップ)の編集長、橋本光恵さんです。映画ファンから映画雑誌の編集者を経て、アジポップ創刊後もアジアと平行して、気になる人々をライフワークとして追い続けている橋本さん。今回はアジアだけではなく、多方面での興味深いお話を聞くことができました。
(以下、アジクロ、H=橋本さん)
●映画雑誌の編集者時代
キネマ旬報社で編集をしておられたそうですね?
H「学生の頃、ライターをやらせてもらっていたのがきっかけで、そのまま編集部に入ったんです。その頃はヨーロッパ映画が好きだったんですけどね」
雰囲気がそんな感じですね?
H「あの頃はヨーロッパ映画ばかり見ていて、特にフランス映画狂でした(笑)。編集部は男性ばかりだったんですけど、日本映画やアメリカ映画が専門の人が多かったので、ヨーロッパ映画というと私が特集やらせてもらえて…リュック・ベッソンとかジャン・ジャック・ベネックス、パトリス・ルコントやヘルツォークなどを取材したり特集組んでました。
原稿は映画専門の方というよりも、別の分野の方に書いていただくことが多くて、寺山修司さんや横尾忠則さん、辻邦生さん、連載は連城三紀彦さん、林真理子さん、中野翠さん等に書いていただきました。それからしばらくして、FLIXというヴィジュアル重視の映画雑誌の創刊メンバーになりました」
そうだったんですか! FLIX、懐かしいですね。私も映画ファンなので、橋本さんのお名前は雑誌などでよく拝見していました。
H「創刊したての頃は、カトリーヌ・ドヌーヴとかイングリッド・バーグマン、オードリー・ヘプバーンといった昔の大女優が表紙で、三島由紀夫の映画論や香水研究家の平田幸子さんのエッセイ等を連載してたんです。そのうちに、ウォン・カーウァイやピーター・チャンといった香港の監督が注目され始めて、私も香港エンタメに目覚めていったわけです」
●アンディ・ラウとの出会い
アジポップといえばアンディ・ラウというくらい、アンディの表紙率が高いイメージなのですが、アンディ・ラウとのなれそめは?
H「93年の旧正月に初めてアンディを取材したんですが、それがアンディの初のソロ・コンサートの時だったんです。たまたま知り合いがアンディのマネジャーを知っていて、コンサートの楽屋で紹介してもらえたんです。その時の印象は映画で見るマッチョなイメージとは違って、本当にナイーブで壊れそうな感じでびっくりしたんですよね(笑)…その年何度も香港に行って取材を重ね、アンディの写真集をFLIXで出したわけです」
16年も前のことなんですね。
H「アンディは自分の映画会社(天幕)を作って、1作目の『神鳥伝説』が大ヒット。年間に3、4本作っている頃で、『天長地久(スター伝説)』の撮影も取材できたんです。明け方の4時ぐらいまで撮影していて、その間、役になりきっているアンディには圧倒されましたね」
アンディ・ラウに惹かれたきっかけは何だったのですか?
H「『欲望の翼』で凄く印象に残ったんですね。不器用な感じの人だなと…。それで、『炎の大捜査線』を見たら、やくざっぽい役で出てる。若頭が板についているのに、ジャッキー・チェンと一緒に戦うシーンでは少年のよう。さらに終わってからのNG集ではガラッと変わってコメディアンのように笑いをとってる…1つの映画の中でいくつもの顔が見えたんです。それでびっくりしちゃって、注目し始めたんです」
『炎の大捜査線』といえば、レオン・カーファイの映画ですよね? 原題は『火焼島』でしたっけ?
H「そうです。『愛人/ラ・マン』のレオン・カーファイが出ているので見たんです。その頃はアンディ・ラウが凄い人というのは全然知らなくて、誰だろうこの人はという感じ(笑)。そしたら、歌も歌うし踊りも踊る。香港エンターテイナーの凄さを知っていったわけです。でも彼らのCDを買おうと思っても、その頃はプレノンアッシュ(シネシティ香港を運営)とWAVEぐらいでしか買えませんでしたね」
さすがはヨーロッパ映画好きの橋本さん。香港の映画監督は1960年代の日本映画やヨーロッパ映画に影響を受けてる人が多いと指摘。ウォン・カーウァイもそうだし、ジョニー・トーもメルヴィル(今年のフィルメックスで特集しています)の影響を受けていて、実際に取材したら、アラン・ドロンの映画をよく観ていたと話してくれました。
●アジポップ創刊へ
アジポップはポップアジアと並んで、1995年にアジア専門情報誌の先駆けとして出ましたね。
H「当時はアジアの専門誌がなかったんです。アンディの取材で何回も香港に行っている間に、様々な音楽や映画と出会い、素晴らしいと感じたので、専門の雑誌があってもいいのではと」
●つづきを読む 1 > 2 > 3
|