これは映画ではない
(In Film Nist/This Is Not a Film)
story
美しい自宅のアパートメントで朝食をとるパナヒ。イラン独特の薄いパンをちぎってジャムをつけ、食べながら電話での会話が始まる。「実は話がある。電話じゃ話せないから来てくれないか。だが、ここに来ることは誰にも言うなよ」
家族が外出した後、キッチンで菜っ葉を洗い、ペットのイグアナにエサをやるパナヒ。お茶を飲みながら、また電話での会話。「量刑は軽減されるだろうが、よほどの圧力がないかぎり一審判決が全面的に覆ることはない。国際的な反響だけでなく、国内の声も重要な圧力だ」と弁護士。「この役は降りるべきだな」
1997年作『鏡』の撮影風景。バスに乗っている幼い少女が、「もうやめた!お芝居はもうイヤ!」と白いヘジャーブをはぎ取ってバスを降りてしまう。その映像を見て「今の私は、この時のミナと同じ立場にいる。何とかしてこの役を放りださなくてはならない」
呼び出した友人ミルタマスブが、カメラを回している。彼は『映画を撮れないイランの監督たち』というドキュメンタリーをつくろうとしている。「当局の許可が出ず、撮影にいたらなかった自分の脚本をここで読み上げたらどうだろう」とパナヒ。映画製作は禁止でも、脚本を読むのは違反ではない。パナヒは作れなかった映画の物語を話し始める…。
●アジコのおすすめポイント:
2011年5月に、反体制的な活動により、20年間の映画製作禁止、出国禁止、マスコミとの接触禁止、そして6年間の懲役刑を申し渡されたジャファール・パナヒ監督(『オフサイド・ガールズ』)が、友人のミルタマスブ監督の協力で作った作品。この映像はUSBファイルに収められ、お菓子の箱に隠れて国外脱出。カンヌ国際映画祭へと届けられています。映画ではないと宣言されても、これは監督の創作過程や映画への愛情が詰まった、極めて映画的な作品。こんな状況にあっても、このようにユーモラスな映像を創りあげる監督の才能に驚かされます。実験的でもあり、魅力的でもあり、登場する近所の人たちは俳優のよう。監督が読み上げる脚本は、映像が目に浮かんできます。そして、ラストにはドキッとする展開も…。現在、監督は収監されているとのことですが、状況が変わることを祈らずにはいられません。
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