夢と行動がリンクしてしまう2人は同時に眠ることができない
(c)2008 Kim Ki Duk Film
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Q:先ほどおっしゃっていた夢への興味とは? 心に残っている夢があったら教えてください。
オダギリ「20代前半の頃から夢にすごく興味があって、夢日記をつけていたんです。起きる瞬間に、まだ夢を覚えている内にノートに書き取るというほんとに単純なもので、慣れると無意識の内に、夢日記を書いているような状況になるんです。
時には読めないような字になってたりして、なかなか内容的にもぶっ飛んでて面白いんです (笑)。よくこんな気狂いじみたことが、頭の中で起きてるなと思うわけですよ(笑)。そういうノートが何冊かあるんです。僕の頭の中の変なものが。
その中でも、僕が一番起きて笑ったのが、『アもたれ』て書いてあって(会場笑)。胃もたれってのはありますけど、アもたれってのは何かというと、アントニオ猪木の食べ過ぎで胃がもたれる(会場爆笑)。僕も脚本を書いたりすることがあるので、ネタになるものをそこから拾ってます。やっぱり、夢っていうのは、なぜこういうものを見るのかと不思議な…自分では答えの出ないものなので、なぜか興味はずっと向いてるんですね。今回は夢に関わる映画なので、自分も入りやすいというか、興味が湧きやすい、そういう状況でした」
Q:相手役にイ・ナヨンさんを指名されたのは?
監督「今回の『悲夢』では、まずオダギリ・ジョーさんの出演が決まっていて、その後で相手役の女優を決めるという順番でした。先ほど申しましたように、今まではなかなか私の作品に出演しようとする女優さんがいなかったのに、オダギリ・ジョーさんが出演するということになったら、韓国のトップ女優たちから私の会社に連絡があり、ぜひ一緒に映画を撮りたいという連絡が殺到しました。名前は伏せますが、韓国ではトップクラスの有名な方ばかりです。最終的にはスタッフたちとも相談して、イ・ナヨンさんに決まったのですが、2人の内面世界や雰囲気がぴったり合っていた気がします。映画を撮り終えて、オダギリ・ジョーさんとイ・ナヨンさんは、とても知的なカップルだなという印象でした。
実は私も子どもの頃から夢日記を書いていました。人は寝起きの瞬間に、現実とは違う1つの世界に入り込んでいると思います。そこには幻想的な世界があり、パノラマを見るように、起きてすぐ後にそれを頭の中で整理して、もう一度夢を反すうする。そんな時間が皆さんにもあると思うのですが、私も夢日記を書いていたので、起きてすぐ、半分目をつぶったような状態で、夢日記を書いていました。そういうことが、今回の映画の基礎になっていたと思います。実際、オダギリさんも夢日記を書いていらっしゃったので、私の発想を理解してくださり、今回の作品に参加していただけたのでしょう」
Q:イ・ナヨンさんと共演された感想は?
夢遊病者のランはジンの見る夢を実行してしまう
(c)2008 Kim Ki Duk Film
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オダギリ「僕は人見知りが激しいというか、なかなか打ち解けるのに時間がかかるタイプなんですが、イ・ナヨンさんもそうで、とても人見知りされる…要するに、似た感じだったんですね。現場でもあの2人は、人見知りし合ってるわけなんですよ、ずっと(笑)。お互いにそれが、いいなあっていう思いもあるんです。もうちょっと近くに座った方がいいかなあとか、『天気がいいね』と話した方がいいかなあとか、思いは募るんですけど、それができないんですよね。でも、性格が似ているので、むしろその距離感が気持ちいいし、芝居の時にそれをぐっと縮めるという作業の方が面白かったりするので、非常に信頼できましたね。
イ・ナヨンさんのように、繊細な部分と大胆な部分を持ち合わせている女優さんていうのは、一緒に作業してて魅力的に思えるし、とても好きな女優さんでした。そもそも、撮影中からいろんな人に、似てるって言われてたんですよ。そう言われると、ちょっと親近感が湧くみたいなのがあるじゃないですか。そういうのがまた、いい作用をもたらしたと思います」
司会「最後にメッセージをお願いします」
オダギリ「これは本格的にオダギリ・ジョーがラブストーリーをやった作品、ということでお願いします(笑)。僕は基本的には、ラブストーリーは嫌いなんですよ。馬鹿らしくなるんですね、やってて。なんか恥ずかしいし、人の恋愛なんてどうでもいいじゃないですか。(会場笑)それを見せるというのは、僕は嫌いなんです。作品を観るのはぜんぜん構わないです。役者としては、今までそういうラブストーリーは一切拒否してきたんです。だけど、恋愛というのはどんな映画を観ても必ず入っている要素なので、その入り方がその作品を決めるというか、恋愛がいかにスパイスになっているかということを考えました。
この映画は本格的なラブストーリーとはいえど、僕にはもうちょっと違った側面からの意味があって、そっちの方を監督と共同作業したいなと思って選んだ作品なので、僕の意識的には本格的ラブストーリーとは思ってないんですが、宣伝文句としてはキャッチーなんで(会場笑)そういうことにしておいていただければと思います」
息の合った3人が「愛の限界」に挑んだ力作をぜひご覧ください。
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監督「オダギリさんもおっしゃっていましたが、『悲夢』は100%ラブストーリーではありません。私が今回描こうと思ったのは、愛の限界です。愛の限界はどこにあるのか、ということを突き詰めてみたいと思いました。愛というのは人の人生を諦めさせたり、人生よりも優先するほどのものなのか、単に美しいだけのものなのか、残忍なものなのか、愛の結末は悲劇でしかないのか、そういうものを問いかけたいと思いました。
ただ、私がこの中で描いた愛は、現実の愛というよりも夢遊病の中での愛、あるいは夢の中での愛なんですね。つまり、現実社会では意識していない愛ということになります。言い換えると、愛を描くと同時に人の意識の限界も描いてみたかったのです。
映画をご覧になると、途中で葦の茂っている野原のシーンがあります。このシーンには、いろいろなことが凝縮されているので、観ている時は戸惑うかもしれませんが、後になってその意味がわかっていただけるでしょう。『悲夢』という映画は、夢ではないかもしれないし、悲しい夢かもしれない、という二重構造を持っています。複雑な映画と思われるかもしれませんが、とてもわかりやすいので、あまり難しく考えず気楽に観てください。ただ、1回だけでなく2回観ていただけたらと思います。いろんな見方ができますので」
キム・ギドク作品というと、難解なアートフィルムというイメージがあるかもしれませんが、監督も語っているように、今回の作品は、特に日本人にとってはいつもよりわかりやすくなっています。というのも、セリフの半分が日本語だから。言語の関係で、『ブレス』のチャン・チェンは言葉のしゃべれない設定になっていましたが、オダギリ・ジョーは役名こそハングルだけど、話すセリフはすべて日本語。自然な演技を引き出すために、あえて言葉の壁を取り払い、ハングルと日本語が混在したまま物語が進みます。それにもかかわらず、ほとんど違和感を感じさせないのは、監督の演出もさることながら、やはり役者たちの演技力の賜物でしょう。夢をモチーフにした、恋人たちの美しくも幻想的で悲しい物語。ぜひ、スクリーンでご堪能ください。
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