すべてを捨てて
素直に本能で演技をした
−ミャオ・プゥ(苗圃)
昨年の東京国際映画祭・アジアの風部門で上映された『さくらんぼ 母の愛』が、『さくらんぼ 母ときた道』にタイトルをあらため、いよいよ11月1日より全国公開されます。知的障害を持つ母親と拾ってきた娘との交流を、夫や村の人々の暖かい目と共にユーモラスに綴る感動作です。
主演女優のミャオ・プゥ(苗圃)は、映画祭のオープニング作品として上映された『鳳凰・わが愛』でも、中井貴一を相手にヒロインを演じており、映画祭初参加にして出演した2作品が映画祭で上映されました。飾り気のない役柄とはうらはらに、舞台挨拶のたびに素敵なファッションに身を包んだ姿も印象的でした。
そんなミャオ・プウに、昨年の初来日時に単独インタビューををすることができたのでご紹介します。現場にはチャン・ジャーベイ(張加貝)監督、脚本家のバオ・シー(鮑十)も同席。光栄なことに、監督自らが通訳をやってくださったので、監督にもいくつか質問をしてみました。さらに、バオ・シー氏にも意見を聞くことができました。
東京国際映画祭へは今回が初めての参加ですが、感想はいかがですか?
ミャオ「初めて東京国際映画祭に参加することができて、しかも2作品も上映されるのでとてもうれしいです。レッド・カーペットがすごく長かったので、足が痛くなりました(笑)。とてもリラックスして歩いたので、それほど緊張はしなかったのですが」
デビュー後、何本かの作品に出た後で演技の勉強をしていますが、デビューのいきさつは?
ミャオ「初めて舞台に立ったのは5歳の頃です。その後、舞台やドラマとは関係のない普通の生活をし、98年に北京電影学院に入学しました。02年に卒業しましたが、学生時代からドラマには出演していました」
『さくらんぼ 母ときた道』では、知的障害を持つ女性というとても難しい役柄を演じておられます。演技の上では挑戦になりますが、女優さんとしてはチャレンジングですよね。演じる上で抵抗はありませんでしたか?
ミャオ「ありました。それは外見的な抵抗ではなく、自分と自分との闘いという意味で。この役柄に入っていくのはとても難しかったのです」
役作りはどのようにされたのでしょうか?
ミャオ「自分なりにいろいろな演技プランを考えていたのですが、後でどれも役に立たないことがわかりました。役作りを簡単に済ませることはしたくないし、ただ誰かを真似するようなこともしたくなかった。知的障害のある人たちは皆それぞれに違う独立した人間です。そこで、私もその中の1人にならなくてはならないと思いました。言葉ではうまく表現できないのですが、長い時間をかけて、さくらんぼの母親になっていきました」
とてもリアルだったので、映画か何かを参考にされたのかと思いました。
ミャオ「ぜんぜんしていません。私に一番似ていると思います。それは、ミャオ・プウではなくて、さくらんぼのお母さんという意味での私です。今回は今までの演技のやり方を全部捨てて、素直に表現しました。知的障害のある母親を扱った映画はたくさん観ていますし、資料もたくさん読みました。そこで、すべてを捨てて、素直に自分の本能で演技をしようと思いました。最初の頃はまだ役に入れていなかったので、3日分ほどの撮影は使えませんでした」
では3日経ってからが本番だったのですね?
ミャオ「すぐに役に入るつもりだったのですが、そんなにうまくいきませんでした。ほんとうにゆっくりと、だんだんお母さんになっていった感じです」
そばでインタビューをじっと聞いている脚本家のバオ・シー氏は「素晴らしい演技でした。映画を観て何度も泣きました」と、ミャオ・プウの演技を大絶賛。「私も泣きました」と話すと「北京の映画誌でも何人かのジャーナリストを集めて試写をしましたが、皆泣いていました」とミャオ。
撮影中、一番大変だったこと、楽しかったことは?
ミャオ「(ため息をついて)今、考えると全部楽しかったけど、当時はとても苦しかった(笑)。最後の方で夫に殴られるシーンがあるのですが、ほんとうに殴られたのでとても痛かったです。何度も撮りなおしたし、ほんとうに痛かったわ」
とてもいいお父さんでしたが、あの役をやられた方は俳優さんですか?
ミャオ「役者ではありません。役者は私1人しかいません。子役も含めて、全部オーディションで選びました。豚も役者じゃありません(笑)」
出演者が皆とても素朴だったので、そうかもと思ってはいたのですが、まさか全員が素人だったとは! お父さん役の方はかなりの熱演ぶり。子役たちもとてもかわいらしく、新人とは思えません。そして、豚追いのシーンも印象的。(続きを読む)
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