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asicro interview 39

更新日:2011.3.28

●監督にとっての『ブンミおじさんの森』とは?

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タマリンドの森を歩くジェンとブンミおじさん
(c)A Kick the Machine Films
Q:いくつかのまったく違うパートが挿入されていて、一度観ただけではわかりにくい部分もあります。たとえば、王女と家来の滝でのラブシーンとか、ゴリラ姿の若者たちとか…これらに込めた意味を教えてください。

 監督「すべてのシーンは、自分が子どもの頃から見て育ったいろんなメディア…映画やコミック、テレビ番組などのオマージュなんです。それらを1つの表現として、レイヤーを重ね合わせるように組込んでいます。それが王女の場面であったり、猿人の話であったりするのですが、映画全体を自分の記憶の層のように捉えています。

 自分の心を1つの球体とすると、そのボール状の心がどのように動いていくか考えた場合、人の心は時系列には動きませんよね。いくつもの連鎖しない発想がポツポツと浮かぶ。そういうことを映画の中に組込みました。そうすると、自分が経験したいろいろなメディアのスタイルの多様性が、ブンミおじさんが生きたかもしれない人生の多様性に重なってくるのです。

 この映画のオリジナルタイトル、『いくつもの人生を生きたブンミおじさん(Uncle Boonmee Who Can Recall His Past Lives)』というタイトルから、観客は生まれ変わろうとしているブンミおじさんの話なのだという先入観を持つので、いくつかのランダムなシークエンスを、ひとりの人間の生まれ変わった人生が重なったものとして見てくれるかもしれません。タイトルがなかったとしても、いくつかのエピソードが合わさって生命力の豊かさを表しているとか、あるいは、表現の多様性を表しているという風に捉えることもできるでしょう。

 王女様の話は、今も続いている時代劇の様式を借りています。今ではCGを使っていますが、昔はあんな風なものをテレビで見ていました。そこでは、王室の話とか、話せる動物が出て来たりして、超自然的な感じ、人間と自然の関係を映すような物語が多かったのです。あのシーンでは、王女様が自分の生き様に満足していません。美しくないことを悲しんでいる。そこで自然に身を委ね、身体を捧げます。もしそれで子どもが生まれたとしたら、どんなハイブリッドな生命体が生まれるか、想像するとちょっと面白いと思います。

 猿人の話もまったく同じで、彼はブンミの息子ですが、人間の世界が居ずらかったので森の中に逃げ、ハイブリッドな存在として生きることを選びます。この物語を政治的に解釈する人もいます。たとえば、この地域では昔、共産主義者をとても強く弾圧する運動があり、たくさんの若い男たちが軍隊に殺されないようジャングルに逃げ込んで行った、という歴史的な事実があります。そのような解釈もありうると思います」

Q:冒頭の夕食のシーンなど、現実と精霊の境界が取り払われて映像化されていますが、それは意識的にそうされたのでしょうか?

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濃厚な闇につつまれた食事のシーン
(c)A Kick the Machine Films
 監督「お気づきになったかはわかりませんが、この映画はリールごとに映像のスタイルを変えています。食卓を囲むシークエンスでは、昔のTVドラマのような映像スタイルを意識しました。昔のTVドラマはフィルムで撮影していて、大きなスタジオで撮影するので大きなカメラを使っていて、あまり動かせないのです。スタジオではかなり照明を焚かないと映らないので、強い照明を使いました。時間も、今のテレビよりゆったりと流れていました。

 ブンミを演じた男性は、実は私とほとんど歳が変わりません。とても好きな役者だったので起用したのですが、老けメイクをして歳をとらせています。彼とは子ども時代に、古い幽霊もののTVシリーズや怪奇もののTVシリーズを見たという記憶を共有しているので、演出をする時も『あの古い映画のあの時のあの感じだよね』と言うと、俳優もすぐわかって、その思い出を甦らせて演じてくれました。昔見たあの世界を、今回のこの映画の中に取り込んで甦らせたという感じです。当時のTVドラマの中では、死者も生者も共存していた、あの世もこの世に近いような形で描かれていたので、そんなことを記憶しながら、映画の中で再現してみました。

 問題は、とても田舎で撮影していたので、照明をつけると虫がたくさん寄って来ること。虫があまりにも寄って来て撮影の邪魔をするので、テイクを何度も重ねなければならなくてすごく大変だったのを覚えています。ジェンチラーが虫を殺していって『煩悩が…』というようなセリフを入れたのも、虫に対する怨みがあるからです。(一同爆笑)撮影中は皆があのラケットを持ち歩いて、虫を殺しまくっていたんです」

Q:とても光と闇を感じる作品でした。失われつつあるものについて、ということでは映画自体もDVDで見るようになって、本来は映画の場所に付いていた闇に対するオマージュも感じられます。映画の原体験や光と闇について教えていただけますか?

 監督「ブンミおじさんが死を迎える時、洞窟の奥底に向かいます。死を迎えるというのは人間の原点に戻るとも言えます。ブンミおじさんの前世が書いてある本の中では、どうして何度も生まれ変わるのかというと、自分の母親を探しているからと書いてあります。ジャングルを抜けて洞窟の中へ入るというのは、人間はもともとジャングルから出て来たから。今は自然からずいぶん疎外されてしまっているので、そういう闇や森、暗闇のようなものに対して恐怖しかありませんが、そこに戻ることによって、その恐怖を取り去ることができるのではないでしょうか。洞窟はまるで母親の胎内のような場所。命が始まったところへ戻って行く、と考えるとわかりやすいでしょう。

 また、洞窟は映画が始まった場所とも言えます。壁に絵を描いていた石器時代の人々は、そこで物語を発明したでしょうし、影絵芝居のような遊びをしていたという話もあります。洞窟は遠い場所のように思えるけれども、よく見ると魚が泳いでいたり、とても生命力に溢れた場所です。暗闇の中に小さく光るものがありますよね? これはカメラを暗くして光らせているのですが、小さな宇宙を象徴しているシーンなのです。

 洞窟に戻るということは、洞窟を祝福すると同時に、映画を祝福するという行為でもあります。映画館というのは現代の洞窟ではないか、と前に本に書いたことがあるのですが、人は常に闇を必要としている。夢を見ることが避けられないように、人間はどうしても夢を見てしまいます。目をつぶると暗闇があって、目の裏側に映像が写ってくる。そんな風に、人間は洞窟の暗闇のようなものを必要としているのではないでしょうか」(続きを読む)


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●back numbers
filmography
長編映画作品

・真昼の不思議な物体(00)
 *バンクーバー国際映画祭
  特別賞
 *全州国際映画祭グランプリ
 *山形国際ドキュメンタリー
  映画祭 優秀賞
  NETPAC特別賞

・ブリスフリー・ユアーズ
 (02)
 *カンヌ映画祭
 「ある視点」部門グランプリ
 *東京フィルメックス
  最優秀作品賞

・アイアン・プッシーの大冒険
 (03)
 *共同監督作品
 *東京国際映画祭招待作品

・トロピカル・マラディ(04)
 *カンヌ映画祭 審査員特別賞
 *東京フィルメックス
  最優秀作品賞

・世紀の光(06)
 *ヴェネチア映画祭招待作品

・ブンミおじさんの森(10)
 *カンヌ映画祭パルムドール

●短編映像作品は多数ありますので、公式サイトの作品リストをご覧ください。