80年代の代表作2本が
連続特集上映
−アン・ソンギ(俳優)
1957年にわずか5歳でスクリーン・デビューを飾ったアン・ソンギ。以後、天才子役として名を馳せた後しばらは学業に専念し、77年に再び映画界に戻ってきます。大人になったアン・ソンギが一躍注目されることになったのが、6月18日より新宿K"s Cinemaにて特集上映される『風吹く良き日』(80)と『鯨とり』(84)。80年代韓国ニューウェーブの金字塔となった2作品です。
80年代の韓国といえば、パク・チョンヒ大統領暗殺の混乱期を経て、87年にはノ・テウ大統領が民主化宣言を行い、翌88年にはソウルオリンピックが開催されました。それまで抑圧されていた文化が次々と解放されていった激動の時代。この2作品では、そんな時代の空気を反映しつつ、様々な社会問題が自由な視点で描かれ、対照的なキャラクターをアン・ソンギが見事に体現しています。
名優アン・ソンギが若かりし頃の演技が堪能できる、貴重な特集上映「韓国ニューウェーブ、再発見」。『風吹く良き日』は今回が日本初公開(当時の検閲でカットされていた部分を修復しての完全版を上映)、『鯨とり』は副題が「コレサニャン」から「ナドヤカンダ」に変更され、23年ぶりにニュープリントでの上映となります。開催を前にして、アン・ソンギのショート・インタビューと日本のファンへのメッセージが届いたので、ここでご紹介します。今回は、東日本大震災へのお見舞いの言葉もいただいています。
●特集上映に寄せて
Q:『風吹く良き日』と『鯨とり』が日本で公開されますが、アン・ソンギさんは、この2作品をどうお考えになっておられますか?
アン「『風吹く良き日』と『鯨とり』は私の初期の作品です。特に『風吹く良き日』は大人になってから俳優として認められた非常に意味のある作品です。『鯨とり』は多くの方々に長い間楽しく見ていただき、老若男女を問わず愛してもらった作品です」
Q:日本やアメリカ同様、韓国でも『風吹く良き日』から、いわゆるニューシネマが始まったと日本では受け取られているのですが、主演者としては、韓国の映画が変わりつつあるという意識はあったでしょうか?
アン「『風吹く良き日』は画期的な変化を起こしました。70年代の韓国は維新政権の時代で、表現の自由が非常に制約された暗鬱な時代でした。パク・チョンヒ大統領が亡くなり、時代が変化していく混乱した時期に生まれ、韓国映画の座標の役割を果たしたのが『風吹く良き日』だったと思います」
Q:韓国の80年代は激動の時代だったと思いますが、アン・ソンギさんにとって、80年代はどのような時代でしたか?
アン「激変の時代でしたね(笑)。長い間統制されていた社会が少しずつ民主化していく中で、人々の意識も社会も変わりました。とくに1988年のオリンピックが大きな変化をもたらし、政治的にも民主化されていく過程で、映画は社会を映す鏡ですから、映画にも大きな変化があった時期です」
アン・ソンギさんの映画をご覧になられた日本のファンへのメッセージをお願いします。
アン「本当にありがとうございます。いつも変わりない愛情に感謝しています。映画を通して、喜びと感動を分かち合いながら、同じ時代を呼吸したいと思います。皆様のご健康とお幸せをお祈りします」
最後に今回の東日本大地震で被災された皆様に激励のメッセージをお願いします。
アン「今回の災害のニュースを聞いた時は本当に大きな衝撃を受け、胸を痛めました。とても言葉では言い表せない慰労の言葉をお伝えしたいと思います。悲しみを一日も早く克服されますよう、全ての問題が円満に解決できますよう…韓国だけでなく世界中が、日本が一日も早く復旧できるよう願っています。この苦難に打ち勝てるよう祈っています」
▼風吹く良き日 ▼鯨とり ナドヤカンダ
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