●Asicro People ではアジアと日本をつなぐ様々な活動をしている方たちをご紹介していきます。
file no.5
田代親世さん
(韓国エンターテインメント・ナビゲーター)
アジクロピープル第5回目は、韓流といえばこの方! 韓国ドラマをいち早く日本に紹介し、草分けコメンテーターとして韓流ブームを牽引してこられた田代親世さんの登場です。
元はアナウンサー出身の田代さん、そのお仕事は韓流ライター&コメンテーターに留まらず、映画やドラマの特番や記者会見、ファン・ミーティングでの司会、そして脚本執筆と幅広く活躍されています。初めての書き下ろし作品が、合作映画『台北に舞う雪』として映画化されたのも記憶に新しいところ。実は中華圏ともご縁のある田代さんに、韓国ドラマや韓流スターのお話はもとより、台湾ドラマや韓国と台湾のお話、脚本、ミュージカル…と、たくさんのお話を伺うことができました。たっぷりとお楽しみください。
(以下、アジクロ、田代さん)
●アナウンサーからエンタメの世界へ
まずは、簡単に経歴をお聞かせください。
田代「大学を卒業してから、岩手放送のアナウンサーをやっていました。そこで5年半を過ごした後、東京でフリーになり、TBSやテレビ朝日で情報番組のアナウンサーをやったんです。事件現場に行って、取材をしてお伝えする…大きな事件だと、阪神淡路大震災とか、オウム真理教の事件とか、ずっと現場に行って取材をしてました。だから、取材が好きというか、ずっと取材畑で仕事をしていたんです。
だけど、もともとはエンターテインメントが好きで、小さい頃から映画とかお芝居とか、物語というものが大好きで、ほんとうは女優を目指していた時期もあったんですけど(笑)、進路を選ぶ時に、向いてないなと思ったのでアナウンサーになりました。だけどエンタメを好きっていう気持ちはずっと持っていて、岩手にいた時から脚本を書いたり、地元のお芝居を書いたり、ラジオドラマをやったりしていました。
東京へ来て事件レポーターをやっている最中でも、エンタメは心の癒しで大好きだったんですけど、そのうち、香港映画にはまったんですよ。きっかけは、中国映画の『芙蓉鎮』でした。文化大革命のお話だから、あまりの生命力のすごさに衝撃を受けたんです。それで、中国映画を集中的に観ていた時期があり、その流れで香港映画や台湾映画を観ていたら、香港映画のエンタメ性の高さにまた惹かれて、チョウ・ユンファにはまりました。『誰かがあなたを愛してる』とか『男たちの挽歌』とか。
その頃、おりしも97年に香港返還があって、ああ、なんかその場にいられたらいいなあ…と思い、そうだ!留学しちゃえばいいじゃん!と(笑)。中国語の勉強もできるし、行っちゃえと思ったんです。自分の中ではわりと大きな決断だったんですけど、そうこうしてアジアを見ている内に、韓国ドラマに出会って、あ、実は私、韓国ドラマがすごく好きかも…と。意外とこっちの方が自分の感性に近いと思って、それで韓国にはまっていったんです」
香港で勉強されたのは、広東語ではなくて北京語ですか?
田代「北京語(普通語)です。日本に戻ってからも、広くいろんなところで使えるといいかなと思って、北京語を勉強しました」
今はアジアがグローバルになっていますから、合作などで一緒に仕事をする機会も増えて、よかったですね。
田代「そうなんですけど、ずいぶん忘れてしまいました(笑)。戻ってから、韓国一辺倒になってしまったので。かといって、韓国語がペラペラしゃべれるわけでもないので、どれも中途半端な感じです(笑)」
●韓国ドラマへの道
韓国ドラマにはまっていったのは、いつ頃からですか?
田代「本格的にはまったのは99年です。97年から99年の1月までは香港だったので、香港にいる間も韓国のエンタメと出会っていたけれども、戻って来てから本格的にはまって、今度は韓国のものを取材していきたいなと思ったんです。
私が香港映画にはまった時は、もうすでに香港のエンタメを紹介する本はたくさんあったし、記事を書く人もいたんです。だから、私はただの読者でいればよかったんですが、韓国のエンタメにはまった時は、あんまりそういうのがなかったんですよ。だから、あまりにも知りたくて、この分野にちょっと詳しくなろうかなと取材を始めて、自分で本を書いちゃおうと思いました。それがきっかけでした。
それで、テレビ局や配給会社の知り合いなどに、どんなに韓国ドラマが面白いかビデオを貸したり布教活動もしましたね。そうしているうちに、ブームになったんです。ブームになったので、テレビ局とかは韓国映画や俳優について誰かに語ってもらいたかった。それで、本を出していた私のところに行き当たったみたいで、取材依頼がたくさん来たんです」
どんどん、ブームの波に乗られたんですね。一番最初に、日本で紹介された韓国ドラマは、たしか『イヴのすべて』でしたよね?
田代「何をもって初めてと言えばいいのかは微妙ですけど、BS日テレとMXテレビが放送した『秋の童話』でしょうか。その次が、テレビ朝日の『イヴのすべて』だったと思います。その次がNHK-BSの『冬のソナタ』」
当時放送されたドラマは、すでにご覧になっていたんですよね?
田代「『冬のソナタ』は韓国でやっている時に、ダイレクトに見ていました。1週間か数日遅れで、日本にある韓国人向けビデオ店に出ていたので、通って、借りて、見て…だから、打ち上げパーティの取材に行ってました」
最初に本を書かれたのは、いつ頃ですか?
田代「2000年の6月ですね。99年に本格的にはまって、一気に見始めて、熱病に浮かされたようにどっぷりはまって。もうこれは本を書かなきゃ、くらいになってました(笑)」
よくわかります(笑)。その頃に特にはまった俳優さんはいますか?
田代「当時はアン・ジェウクでした。『星に願いを』というドラマで本格的にはまったんです。孤独な歌手役だったアン・ジェウクに心惹かれ、ファンになりました」
●魅力的な韓流スターたち
たくさんの韓流スターに会われていますが、人間的にも好きな俳優さんはいますか?
田代「(少し考えて)お会いしてお話を聞くと、皆さん一生懸命なのでとても好感を持ちます。だから、誰かと名前をあげるのは難しいですが、尊敬しているのは、やっぱりペ・ヨンジュンさんですね。インタビューや言動を見ていると、ほんとうに有言実行の人で、ストイックに生きてて、いいなあと。素敵に生きるために努力をちゃんとしている人で、それが実っている人だなあって思いますね(笑)。それは、見習うべき姿勢だと思います。ストイックで、自分を生かす理想も高いから、なおざりなことができない不器用さっていうのも好ましいですね(笑)。それでいて、俺は俺はという感じじゃないし、謙虚だし。その辺が好きですね」
『太陽を抱いた月』(NHK-BSプレミアムで放送中)のキム・スヒョンさんの先輩ですよね? 先日、テレビでの来日特番を拝見しましたが、スヒョンさんはいかがですか?
田代「キム・スヒョンさんは、なんか突き抜けている感じで大物ですね。マイペースだし、あまり周りを気にしていない。ストイックな感じはしないんだけど、若さとか覇気のある感じとか、もしかしたら天然なのかもしれない突き抜け感が、大物だねえっていう感じです(笑)」
子役のキム・ユジョンちゃんも、最近よくドラマに出ていますが、大女優になりそうですね。
田代「もう大人びてて、1つ1つの発言が立派なんですよね! ちゃんとプロの中で仕事をしていくと、こうなるのかなあと思いました」(次頁へ)
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