2018年12月12日 ザ・ペニンシュラ東京(有楽町)
2月1日より絶賛公開中の『バーニング 劇場版』。韓国の巨匠イ・チャンドン監督の最新作にして、原作が世界にファンを持つ村上春樹の初期の短編「納屋を焼く」ということで注目を集めています。さらに原作を新たな解釈で未知なる展開へと導く壮大なミステリーになっており、映画ファンも村上ファンも納得の作品。3月からセカンド・ランが始まっている本作は、冒頭から伏線が細かくはりめぐらされており、1度観ただけでは謎を解くのが難しく、2度、3度と劇場に足を運ぶ方もいることでしょう。公開前の昨年末、イ・チャンドン監督が8年ぶりに来日し、記者会見が開かれました。作品の重要部分にも触れた内容になっていますので、ご紹介します。
監督「皆さんこんにちは。映画撮影は8年ぶりで、プロモーションで日本に来るのも8年ぶりです。またお会いできて、ほんとうに嬉しいですが、緊張もしています」
カンヌ映画祭で歴代最高の評価(4点満点中3.8点)を受けられ、国際批評家連盟賞も受賞されました。おめでとうございます。カンヌで受け入れられた要因は何だと思われますか?
監督「『バーニング 劇場版』には、自分なりに意図していろんな要素を入れました。最近の映画はとてもシンプルになり、観やすい映画が増えてきた。観客も決まったストーリーを追うことに慣れて、そういう映画を望んでいるように思えるんですね。作り手もそういった映画を作る傾向が増えています。そんな中、私はその流れに逆行したいと思った。映画を通して、人生とは、生きることとは何か? 世界とは何か?を問いかけ、自分なりに省察して考えて欲しいと思いました。映画を通して、観客の皆さんに新しい経験、新しい問いかけを受け止めて欲しい。そして世界に存在するミステリーを感じて欲しい、という思いがありました。
ただし、それはとても難しい作業ですし、観客の皆さんにとってはあまり慣れない経験ですので、どんな風に受け止めてくださるのか気になっていました。カンヌ映画祭と言えば、一般の観客の皆さんよりも専門家の方たちがたくさん来ていますので、評価された点数を気にすることはあまりないかもしれませんが、このように良い評価をいただいて反応がよかったので、とても安心しましたし、嬉しかったです。日本の観客の皆さんにも、この新しい経験を、ぜひ楽しんで欲しいと期待しています」
原作が村上春樹さんの「納屋を焼く」ですが、映画化することになった経緯は?
監督「きっかけは、日本のNHKからの依頼(注1) でした。村上春樹さんの短編の中からどれか1本を選んで、映画を撮ってみませんか?と、声をかけていただきました。ただ、その時は別のプロジェクトも抱えていて、いろいろと悩んでいた時期でした。それになぜか、村上春樹さんの作品世界を私が映画にするのは難しいのではないか、私にとって難しいテキストなのではないかと思い、実は一度、そのようにお伝えしました。すると、プロデューサーとして参加するのはどうか?と言ってくださり、だったら私がプロデューサーに回り、他の若い監督さんに映画を撮るチャンスを提供できると思って快諾しました。
ところが、あまりうまくいかなかったんですね。そんな矢先に、これまで私と一緒に作品を作ってきたオ・ジョンヘさん(シナリオ作家)から、『納屋を焼く』を原作に映画を撮ってみてはどうか?と提案を受けたんです。その時は意外な気がしたのですが、もう一度この原作を読み返してみると、とても短いミステリアスな事件を追うお話で、結末は明かされておらず、曖昧模糊として終わっているんですね。この小さなミステリーを拡大させることができるのではないかと思いました。たくさんのミステリーを何層にも重ねていき、世界のミステリー、人生のミステリーにつなげていけると思い、映画化することにしました」
主人公3人の造形にいろんな意味が込められた『バーニング 劇場版』
ということで、本作は劇場公開前の昨年末12月2日に、4K・8K衛星放送が始まったNHKのBS4K開局特集番組として12月2日の夜、さらに年末番組特集としてNHK総合で12月29日の夜に、ドラマ版の95分バージョンが放送されています。こちらは日本語吹替版で、結末も原作に近い形で終わっていますが、劇場版ではさらにその謎に深く食い込み、予想外の結末へ向かっていくものになっています。ここからは核心にも触れている、記者からの質疑応答です。
Q:シン・ヘミが序盤でパントマイムを見せますが、「ないものをあるように見せるのではなく、ないことを忘れるのがパントマイムのコツ」と言っていました。この場面はとても象徴的で、後の展開にも関わってきますし、原作の優れた解釈だと思います。映画にしかできないことをやるのだという決意表明を感じましたが、このシーンに込めた思いを教えてください。
監督「ヘミは『ここにあると信じるのではなくて、ないことを忘れるのが大事だ』と言います。それはパントマイムをする人たちの話ではありますが、私たちが生きていく人生での大切な問題を語っているのではないかと思いました。普段は目に見えるものだけを受け入れて生きているわけですが、目に見えないものも受け入れ、ないということを忘れることがとても切実なことなんだと。そう考えていけば、とても健全な人生になるのではないかと思いました。それが芸術であれ、信頼であれ、愛や希望であっても、そういうことがとても必要なのではないかと思うのです。
この映画はミステリー、あるいはスリラーの形式をとっていますが、目に見えるものと目に見えないものの境界にある秘密、境界線の上にある秘密やミステリーを描いている映画なので、序盤からそういったシーンを入れることにしました。3人の主な登場人物の中で唯一、女性であるヘミがそういう気持ちを持ち、主体的に生きているところを見せたかったのです。ヘミはとても辛い人生を生きていますが、彼女なりに主体的に人生の意味を探し、真の自由を得たいと思っている。そういう所も見せたいと思いました」
パントマイムを習っているヘミ |
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作家志望のジョンスと裕福なベン |
Q:監督は作家としても活躍されていますが、村上春樹作品の特徴はどう思われますか? 文学全般に対する思いも教えてください。
監督「文学について語るのは私自身にとっては難しいことです。私は1980年代に作家として活動していました。勿論、村上春樹さんのように世界的に有名な作家でも影響力のある作家でもなかったのですが、1980年代 (注2) というのは韓国の作家にとってはとても辛い時期にあたります。皆が苦しんでいた時代でした。政治的に、社会的に、非常にたくさんの矛盾を抱えており、社会全体が全力でその矛盾と闘っているような時代でした。
ですから、文学も現実を反映させたり、現実を変えるために何か小さな役割でもしたいと、皆が思っていた時代でした。作家としては、そういった作品を書く努力をしたのですが、一方で、想像力を働かせることにおいては自己検閲が必要になってきました。果たして、自分は有効な文学を作れているのか?自問自答するような時代でもありました。そう考えると、この時代は作家にとって有利な時代ではなかったと思います。
80年代が過ぎて90年代になると、また新しい風が吹いてきました。文学の世界でも自由な想像力を持って、新しい文学をスタートさせられる時代になりました。そういう時に、とても影響力のある村上春樹さんという作家と出会うことになりました。韓国では村上春樹さんのことを「ハルキ」と名前で呼んでいます。これは愛称を超えて1つの現象になっていると言っていいでしょう。固有名詞というよりも、1つの名詞のように皆が使っており、洗練された人生、クールな人生を象徴してくれるような存在でした。私にとっても、今までの文学とは違う新しい文学だなあという印象を受けました。
村上春樹さんの文学というのは、表向きはとても洗練されており、自由な世界を描いているように見えるんですが、それだけではなくて、非常に複雑になってしまった世界、曖昧模糊とした世界に対応するために、必然的な文学になったのだと思います。それはいろいろな作品で、いろいろな形で確認することができます。私はこの『バーニング 劇場版』という映画を作りながら、村上春樹さんの世界を映画の中に持ち込んだわけですが、映画なりに村上春樹さんが描いている世界を映画に置き換えてみたいという思いがありました」
Q:女性の描かれ方がとても印象的でした。女性の描き方に込められた思いとは?
監督「原作の短編小説でもそうでしたが、女性が途中でいなくなります。その女性を探すというのが物語の構造ですが、そういうプロットは昔からよく使われていました。でも、私は単にそのストーリーだけに留まりたくないと思いました。ヘミはいなくなる一人の女性ですが、必ずしも受け身の女性ではないと位置付けたかったんです。
ヘミは2人の男性の間にいます。ベンは物質的な豊かさを享受しているけれど、どこか満足できていないところがある。ジョンスは不安な自分の未来を知っているからこそ、物質的な貧困の中で無力感を感じています。この2人の共通点は空虚感、虚しさだと思います。そんな虚しさを抱えた2人の男性の間にヘミがいるのですが、この2人の男性は今の若い人たちの両極面を表していると言っていいでしょう。
ヘミ自身はとても生活が苦しくて、カード破産もしているのですが、3人の中で唯一彼女だけが人生の意味を探していて、人生の美しさを求めているわけです。そして、いなくなったヘミを2人は追うわけですが、観客の皆さんには彼女が何を求めているのか、そして、ヘミというのはどんな女性なのか、そういう問いかけをして欲しいと願っていました。ただ単に消えてしまった女性としてではなく、主体的に人生の意味を求めているヘミという女性が、この後どうなったのか?というのを観客の皆さんに考えて欲しい、問いかけて欲しいと思っていました。
そういうヘミを描くにあたっては、映画的なイメージとして非常に強い表現が必要です。そこで、ヘミが消える前に、夕陽を見ながらグレートハンガーのダンスを踊るというシーンを入れました。グレートハンガーは人生の意味を求めている存在ですから、そのダンスを踊るというのは非常に強いイメージになるのです」
なるほど!と、女優さんの話題になったところで、ゲストが登場して花束贈呈。ゲストは同じ村上春樹の短編小説「ハナレイ・ベイ」を原作にした映画『ハナレイ・ベイ』(2018年10月19日公開)で主演した吉田羊さんでした。
吉田「昨夜は興奮して一睡も眠れませんでした。私は監督の『オアシス』が好きで、おりに触れて観返しているのですが、観るたびに新鮮で、毎回楽しませていただいています。そんな素敵な作品を作る監督にお会いできて光栄です」
監督「身にあまるお言葉をいただき感動しています」
吉田羊さんからも『バーニング 劇場版』への感想をいただきました。
吉田「スリリングで、ミステリアスで、最初から最後までピーンと見えない糸が張り詰めているような緊張感がありました。短編を長編にするのは難しいのですが、『バーニング 劇場版』での監督の解釈は、原作者の村上さんにとっても正解かもしれませんね。監督の演出力と俳優さんの演技の生々しさによる賜物です。私も監督の演出に興味を持っていまして、どこがアドリブで、どこが台本通りなのか、演出はどんな風にされているのか、ぜひ現場で監督の様子を見てみたいです」
監督「現場をご覧になると、がっかりするかもしれませんね(笑)。特別なディレクションをしないことが多いので。現場ではすべて俳優に委ねているので、私にとってはキャスティングが重要なんです。なるべく役柄に近い俳優を探してくるので。だから俳優と話はするけど、現場でのディレクションはせず、俳優さんにお任せすることが多いのです。吉田さんとも、機会があればぜひ、ご一緒したいです」
最後に劇場でこれから作品をご覧になる方へのメッセージです。
吉田「村上作品のミステリアスでファンタジックな部分はそのままに、監督の大胆なアレンジも加わって、村上作品のファンの方にも、その他の皆さんにも楽しんでいただけると思います。観終わった後、ぜひ映画談義に花を咲かせてください」
監督「村上作品の世界を拡大させて作りました。観客の皆さんには、また新しい新鮮な経験をして欲しいという思いを込めて作った作品です。ぜひ映画館でその経験を味わって、楽しんでご覧いただければと思います」
まだまだ全国での上映が続く『バーニング 劇場版』。ちょうどこの記者会見が開催された日にお披露目会があったアップリンク吉祥寺でも、3月1日から上映が始まっています。原作者の村上春樹さんも、2月放送の村上RADIO プレスペシャル(TOKYO FM/*イ・チャンドン監督のインタビューも放送)で「面白い!」とおっしゃっていた本作を見逃してはいけません。未見の方はもとより、一度観て驚いた方、細かいヒントを探して謎を解いてみたい方などなど、ぜひ劇場へお越しください。
▼作品紹介
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