2005.1.27
渋谷エクセルホテル東急(東京)にて
ジャッキー・チェンには2人の兄と2人の姉がいた! そして父と母が長い間、秘密にしていた過去とは…? 99年、父・陳志平(房道龍)から初めてジャッキーに打ち明けられた衝撃の真実を元に、当時のジャッキーの様子や両親の姿、過去の記録映像、そして探しあてた息子たちとの再会を、ジャッキー自身の成長記も交えて綴るのがドキュメンタリー『失われた龍の系譜』です。監督は『宋家の三姉妹』で知られる香港の女流監督メイベル・チャン。パートナーでプロデューサーのアレックス・ロウと共に、この初めてのドキュメンタリー作品を作ることになったいきさつと、公開に至るまでの経緯、また今後の映画化計画などについて語ります。(*作品に関しては作品紹介ページへ。)
●最初に一言ずつご挨拶をお願いします。
メイベル「おそらく皆さんが普段観ておられるジャッキー・チェンの姿は、非常ににかっこよくて、なんでもできるスーパーマンのような印象をお持ちでしょうが、この作品を観ていただくと、まったく異なる顔、違った姿が見えて来ると思います。
彼は父の過去をまったく知らず、父親の元に戻ったこどものような姿でいます。彼自身、それまでずっと一人っ子だと思っていた訳ですが、この取材を通して、初めて自分には4人の兄や姉がいて、本名も実は「房」という苗字だったというのを知ったのです。彼の表情や父親の傍にいる時の姿からは、斬新なイメージを感じることができるでしょう。
この映画は家族の肖像を描いたものではありますが、中国の100年間の近代史、どういう風に家族が苦難の道を歩いて来たか、そういうテーマを描いた作品でもあります。」
アレックス「きっかけは、今から5年前になります。1999年の旧正月に、ジャッキーから『3日間くらい休みが取れたので、一緒にオーストラリアに行かないか。』と誘われたのです。どうしてかと尋ねると『両親が今オーストラリアに住んでいるんだけど、最近母親の体調がかなり悪くて、それで、父がこれまでの自分の人生で僕に教えていないことがたくさんあるようなので、今回行ったらいろいろ教えてくれるんだ』と言うんですね。
ジャッキー・チェンは休みがあると、必ず友人を誘って遊びに行くタイプの人なので、その誘いはとても自然に受け止めました。ただ、ご両親が大変高齢なので、その時はビデオカメラも持って行って、両親の姿を記録しておきたい、いわば家族のアルバムのように両親の姿を映像で記録しておきたい、というのがジャッキーの願いだったんです。それで機材を持ち込んで着いて行きました。
それからインタビューをして、その後に追加撮影をして、音楽を集めたり、資料映像を集めたり…最初は3日間の休暇のつもりが、作業に3年以上もかかってしまった訳です。結局、作品が出来上がった時には、ジャッキーの母親は他界してしまいまして、それでエンド・クレジットに『ジャッキー・チェンの母に捧げる。すべての母親に捧げる。』と入れたのです。」
−ここから質議応答。
●ドキュメンタリー映画は初めてですが、作る決心をした理由は?
メイベル「決心をしたのは、やはりジャッキーのお父さんとお会いして、お話しを聞いてからです。あまりにも波乱万丈な人生経験をしておられるので、その存在をより多くの人に知ってもらいたいと思いました。
撮影している時は、ドキュメンタリーという意識はなくて、映画を撮影している感覚で制作しました。作品の中には、私個人の思いとか、自分なりの切り口がかなり含まれていると思います。つまり従来のドキュメンタリーの手法とは違って、私なりのスタイルでドキュメンタリーを撮れたと思います。
ジャッキー・チェンに関するドキュメンタリーは、映画人生やカンフーに関する世界を描いたものはいろいろありますが、家族に関する作品はありませんでした。また撮影する時はお互いに、これを作品として公開しようという気はなかったのです。家族のアルバムとして、家族の歴史、親の世代の人生を記録するための撮影と思っていたのですが、だんだん1つの作品としての形が見えてきまして、作品として成立した訳です。
それから、ジャッキー・チェン自身が将来、自分の人生を振り返る時に、自分に関するドキュメンタリーを撮って欲しいということがあるかもしれません。実は、彼の息子(ジェイシー・フォン)のデビューも含めて、息子さんの部分もかなり撮影しているのですが、今回は盛り込まれていません。が、将来、ジャッキーの世代以降の一族そのものを撮影することも、1つの選択肢としてあるかと思います。」
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