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●フォ・ユアンジャの人生や生き様を演じることで、現在の私たちに伝えたかったメッセージとは?
ジェット「人類共通の夢は、幸せを求めたいことだと思います。ところが現代社会の教育だと、例えば、有名校を出ていい職業について高い収入を得れば立派な人間で、人から尊敬されると、そういう風に教えています。私個人の考えでは、これが唯一の人間の歩む道ではないと思います。私たちはとかく物事がうまくいかないと、外に理由を求めたがります。うまくいかないと仕事が悪い、社長がひどいんだ、とそういう話をします。しかし、これでは幸せになれません。幸せとは常に自分自身の心にあるのではないでしょうか。自分と闘うことがとても重要なのです。人間の心には常に欲があります。幸せとは何か、財産があれば幸せになるのか、その1つの関門をなかなか超えることができません。その関門を超えることができないので、常に自分と葛藤していろんな苦労をします。
そういう意味で、この映画の中のフォ・ユアンジャは大変強くて、彼の敵になる相手はあまりいないのですが、最後には負けてしまいます。自分自身に負けるのです。彼が若い頃の話ですが、成功して傲慢で自己中心的になり、他人の苦労はなんとも思わなくなる。そういう意味で、私がこの映画の中で世の中の皆さんに伝えたいのは、決して相手を倒すことが目的ではなくて、倒さなくても別にいいんじゃないか。それよりも、むしろ自分自身と闘って自分に勝つことで、ほんとうの幸せがやってくるのだと思います」
●初の海外作品ですが、田中安野役をどんな思いで引き受け、この映画でどんなメッセージを伝えたいと思いましたか?
中村「ジェット・リーさんの相手役ということで、アクション経験のほとんどない僕がすぐに『ハイ、出ます、出ます』とは返事ができなかったですね。なぜなら、時間もなかったですし、お断りしようと思っていた中、プロデューサーのビル・コンさんが日本まで来てくださって、お会いしてお話を伺ったら、先ほどジェット・リーさんがおっしゃったように、アクションというよりも精神世界、内面の方を表現してもらいたいということで。
もちろん、日本でもアクションの訓練は受けましたけど、この映画のテーマでもある『人を倒すことだけじゃない。最大のライバルは自分自身』といった精神世界を、田中という役を演じながら自分自身も勉強したかったですし。自分もたとえば役者として、一人の人間として、大きな壁にぶち当たった時に、それを乗り越えようとする強い自分もいれば、逃げ出したくなる弱い自分もいて、いつも舞台に出る時、そして役者として大きな壁にぶち当たった時、心の中では自分自身の闘いだといつも思っていたんですね。この作品のテーマと似ているところがあると思い、もっとそこを突き詰めて勉強してみたいと思ったんですね。
そして世界と同時に日本でも公開されるということなので、偉そうな言い方ではなく、日本人代表として、同じ日本人の方がご覧になった時、恥ずかしくないものにしたいと思いました。日本人として外国の作品に参加するという責任を持って、ましてや刀、日本の伝統的な武器である刀を手にするわけですから、間違ったことをしてはいけないと自分自身に言い聞かせてやったつもりです」
司会「原田さんはいかがでしたか? 獅童さんが出ているから、安心して憎まれ役をやれたとか…」
原田「向こうに着いて衣装合わせの時に、大村(『ラスト・サムライ』)の延長だということがわかったので(笑)、気分は楽だったですけど、衣装はほとんど同じだったので、眼鏡をつけることでちょっと違うかなと。
最初は役名が『ミタ』か『ミカタ』か、読みが統一されてなかったんですね。中国語の脚本では『三』に『田』と書いてあって、英語稿では『Mikata』で。共演している連中が『お前はどっちなんだ?』って言うんですよ(笑)。英語稿を読んでる外国人が。で、ロニー・ユー監督に聞いたら『三田』ていう字がいいということなので、だったら『ミカタ(=見方)』だろうって…そういう他愛のない冗談を現場でずっとやってたんですけど(笑)。
とにかく、撮影中は暑かったですね。その暑さに皆さん耐え抜いて、あれだけのアクションをやって…長丁場で14週間撮影したという…。僕は最初の方の4月と最後の7月に行っただけですから、そういう意味では楽だったんですけど、皆が同じ熱気を持って最初から最後まで作っているという姿は、打たれるものがありました」
司会「最初はどんなコラボレーションにして、どんな世界を描こうと思われたのですか?」
ロニー「今の私は大変なラッキーガイです。世界で最高のアクションスターであり俳優でもあるジェット・リーさんと一緒に仕事ができたのですから。また、日本の俳優さんとお仕事をするのは初めてでしたが、すぐに敬意を抱くようになりました。彼らはとてもプロフェッショナルであり献身的で、この物語の主題を情熱的に語ってくれました。原田さんとはとても楽しかったです。彼は愉快でちょっと悪いところもあって(会場笑)…それは『ラスト・サムライ』で観たのですが、彼はシニカルな日本人を演じていました。この物語でもそういう役が欲しかったので、すぐに原田さんが浮かんだのです。
獅童さんはクールな方です。この映画はいわゆるアクション映画ではなく、とても強い内面性を持っているので、マーシャルアーツのスターよりも演じることができる俳優が必要でした。武術は振り付け師がいればなんとかなるものですが、私は田中の持つ誠実さをスクリーンに出してくれる人を求めていたのです。プロデューサーのビル・コンから獅童さんを薦められた時、彼の前作を何本か観ましたが、彼の演技はとても印象深かった。それで、彼と仕事できることになりわくわくしましたし、とてもうれしかったです。
作曲家の梅林さんも大変重要です。この物語のエモーショナルな旅を表現してくれる音楽が必要でしたが、彼は情感溢れる素晴らしい音楽で私を感動させ、今アジアの観客たちを感動させています。日本の観客の皆さんもきっと感動なさることでしょう。衣装デザイナーのワダ・エミさんとお仕事できたのも光栄でした。彼女は獅童さんの衣装をデザインしましたが、素晴らしかったです。そういう訳で、今の私はとてもラッキー・ガイだと言ったのです」
(c) Wide River Investments Ltd. (c) Hero China International Ltd.
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更新日:2006.3.28
●back numbers
イベントの表記
司会・質問者
ロニー(ロニー・ユー)
ジェット(ジェット・リー)
中村(中村獅童)
原田(原田眞人)
●ジェット・リー (リー・リンチェイ)
李連杰/Jet Li
1963年4月26日、遼寧省瀋陽市生まれ。8歳から北京業余体育学校で武術を学び、11歳で中国全国武術大会・少年部門で優勝。北京武術団の一員としてアメリカ巡業に参加し、ホワイトハウスに招かれたことも。12歳から全国武術大会・成年部門で連続5回優勝を飾り、その記録は今も破られていない。
82年に『少林寺』に主演し俳優デビュー。香港と中国を中心に活躍し、91年に実在の英雄ウォン・フェイフォン(黄飛鴻)を演じた『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ』シリーズを好演。以後、数々の英雄シリーズを演じて注目を浴び、その後、現代ドラマにもジャンルを広げる。98年の『リーサル・ウエポン4』で海外進出。以後、ハリウッドと中国の両方で活躍を続けている。
●filmography
・少林寺(82)
・少林寺2(83)
・ドキュメント
燃えよカンフー(83)
・阿羅漢(86)
・ファイナル・ファイター
/鉄拳英雄(86)
・少林海燈大師(88)
*ドキュメンタリー
・ドラゴンファイト(88)
・東方巨龍(88)
・ハード・ブラッド(89)
・ワンス・アポン・ア・
タイム・イン・チャイナ
/天地黎明(91)
・スウォーズマン
/女神伝説の章(92)
・ワンス・アポン・ア・
タイム・イン・チャイナ
/天地大乱(92)
・ワンス・アポン・ア・
タイム・イン・チャイナ
/獅王争覇(93)
・レジェンド・オブ・
フラッシュ・ファイター
/格闘飛龍 方世玉(93)
・カンフー・カルト・マスター
/魔教教主(93)
・ワンス・アポン・ア・
タイム・イン・チャイナ
/天地争奪(93)
・ラスト・ヒーロー・イン・
チャイナ/烈火風雲(93)
・レジェンド・オブ・
フラッシュ・ファイター
/電光飛龍 方世玉2(93)
・マスター・オブ・リアル・
カンフー/大地無限(93)
・新・少林寺伝説(94)
・ターゲット・ブルー(94)
・フィスト・オブ・レジェンド
/怒りの鉄拳(94)
・真少林寺(94)
*ドキュメンタリー
・死闘伝説Turbo!
/トップファイター(94)
・D&D/完全黙秘(95)
・ハイリスク(95)
・冒険王(96)
・ブラック・マスク/黒侠(96)
・ワンス・アポン・ア・
タイム・イン・チャイナ
&アメリカ/天地風雲(97)
・ヒットマン(98)
・リーサル・ウェポン4(98)
・ロミオ・マスト・ダイ
(2000)
・キス・オブ・ザ・ドラゴン
(01)
・ザ・ワン(01)
・HERO(02)
・ブラック・ダイヤモンド
(03)
・ダニー・ザ・ドッグ(05)
・SPIRIT(05)
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