2013.3.5 映画美学校試写ホール
日本統治時代の台湾で実際に起こった、台湾原住民族による誇りを賭けた武装蜂起「霧社事件」を描いた『セデック・バレ』。4月20日より絶賛公開中ですが、3月初旬に若き日のモーナ・ルダウを演じたダーチン(大慶)と共にPR来日したウェイ・ダーション(魏徳聖)監督が、記者会見で映画に込めた思いを熱く語っていますので、ご紹介します。記者会見は、マスコミ向け試写会の会場で上映後に行われました。
オシャレに変身して登場したダーチン(左)とウェイ・ダーション監督
監督「監督のウェイ・ダーションです。映画を観ていただき、映画の中で我々が語りたいこと、映画の視点を受け入れてもらえるとうれしいです」
ダーチン「ミナサン、コンニチハ。私ハ、ダーチンデス。監督とこの映画を作ることができてとてもうれしいです。アクション部分は初めてのチャレンジだったので、とにかくいろいろとやりました。気に入っていただけたらと思います。ぜひ、この映画を応援してください」
司会「チウ・ルオロン(邱若龍)さんが描いた霧社事件の漫画を読んで映画化を決意したそうですが、初めて霧社事件のことを知った時はどのように感じましたか?」
監督「霧社事件については、台湾の小中学校の教科書に記述がありますが、内容がとても少なく、たったの2、3行です。ある日、テレビで台湾東部の原住民の皆さんが台北でデモをやるニュースを見て面白い事件だなと思い、原住民の話をもっと調べてみようと思いました。純粋な好奇心で本屋に行き、いろんな本を見たら、たまたまその漫画に出会ったのです。読んだ時は正直、びっくりしました。教科書にはたった2、3行の記述しかないのに、内容はとても複雑で膨大な資料がありました。それがきっかけとなり、霧社事件にはどういう背景があるのか、当時はどのような制度があったのか、様々なことについて調べることにしました」
司会「このような自分の国の歴史に関わる映画に出演することになり、どのような心境でのぞみましたか?」
ダーチン「僕自身は原住民のタイヤル族出身ですが、実は小さい頃は霧社事件についてまったく知りませんでした。この映画の出演が決まり、台本を手にした時、初めてこんな事件があったことを知りました。思い返してみると、この事件に関してではないけれど、一族の年輩の方から『我々の部族には独自の文化や信仰、伝統がある』と話を聞いたことがあります。それで、この脚本を手にした時は、いろいろと読みました。
この山岳地帯でこのような生活をしていた僕たちの先祖は、とても智恵があるのではないでしょうか。例えば、侵入者がやって来た時は、どうやって立ち上がり、家族や一族を守ったのか。自分たちの山、土地を守ったのかと。そういうことを考えて、撮影する時は大変、使命感が湧きました。とにかく、映画はかなり時間をかけて作ったので、終った時はほんとうにうれしかったです」
司会「本作には安藤政信さんや木村祐一さんが出演しており、また美術は種田陽平さんが担当しています。日本の俳優やスタッフとの仕事はいかがでしたか?」
監督「まず役者についてですが、当初、キャスティングをする時、原住民役は素人を起用しようと決めました。特に、外形はいかにも原住民でなくてはならず、スターは一切使わないことを明確にしました。一方、日本人については、知名度のある役者を起用したいと思いました。映画を観て、この人はいい人、この人は悪い人、とわかると困るからです。
これまでの作品だと、日本人は悪役として描かれている場合が多いのですが、今回はそうではなく、とにかく、わりと格好いい人を起用して、観客が物語を全部を観る前にある種の先入観ができないようにしました。いい人、悪い人、ではなくて、なんとなくいい人だなあ…と。そして、その人がどう変化していくのか。日本人の部分に関しては、前後で演技が変化してくることが多いので、やはりプロの役者でないと困ります。なので、知名度のある、ある意味ではスターを起用しようと予め決めていました。
種田さんについては、台湾ではこの20年間、映画産業があまり盛んではありませんでした。美術についても、20年間の差があった。そこで、種田さんにアプローチしました。ご存じのように、種田さんは心も視野も広い方です。今回は特に、台湾原住民の町の中に日本人の町を作るということで、ここには原住民の町だけではなく、原住民プラス日本人で作った町の部分と、漢民族の人たちが作った町の部分と3つの要素がある、そういう町を作ろうとおっしゃいました。そこで彼と少し話をすると、すぐに非常に正しい見方をしてくれました。今回は日本にある日本人の町ではなく、台湾にある日本人の町を作ろう、とはっきり言われた。そこで、種田さんを起用しました」
ここからは、質疑応答です。
Q:主人公が話す言葉の中で「文明と野蛮の違いは何か」とありますが、この映画はそれを問うているように思います。いかがでしょう?
監督「文明と野蛮の境界線がどこにあるのか。一般的には、文明の強弱、どれが優れているのか、どれが劣っているのか、などに1つの判断基準があると思います。文化力がとても高いところは文明的で、文化力が若干低い、弱いところは野蛮だとよく言われる。
たしかに、文明には強弱はあるけれども、特にこの文化、文明の流れがやって来た時に、衝突が起こります。強い文明の流れが来た時に、我々はそれにどう対処し、どう衝突を乗り越え、回避していくか、そういうことを考えるのが重要です。大事なのはまず、まったく異なる文化・文明を知ること、認識すること、さらに理解をすること。それによって、次第に衝突が乗り越えられるのではないでしょうか。
言い換えれば、強弱の関係で強制的に『あなたの文明はよくないから捨てなさい』と言うものではない。例えば、私はとてもかっこ悪くて、ファッションセンスもひどいとか。ヘアスタイルもよくないとか。そういうのはどんどん批判して構わないのですが、私が私なりに持っている信仰を否定されると、私の存在価値を否定されてしまいます。それはやってはいけない。私はこの映画を通じて、そういうことを考えて欲しいと思いました。価値や信仰を否定されると問題や衝突が起きる、ということなんです。
では、絶対的にいい文化があるかというと、それはないと思います。では、異文化は絶対に交流できないでしょうか? それも違うと思います。きっと、理解することによって交流の道が開かれるでしょう。たとえば、映画のエンディング部分ですが、鎌田将軍のセリフの中に、実は答えがあります。結局、こういう交流の道、異なる価値観を認識して理解すること、そして死に直面した時はどう考えたらいいのか、この辺をお互いに認識して理解することができると、多分交流の道が開かれるのではないかと思います」(続きを読む)
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