『セデック・バレ』の 製作秘話を語る −ウェイ・ダーション(魏徳聖)
日本全国で絶賛巡回中の『セデック・バレ』。渋谷ユーロスペース(8月3日より)や沖縄・桜坂劇場(9月7日より)でのアンコール上映も決定し、まだまだこの作品が持つ熱い息吹きへの感動が続いています。
09年の『海角七号/君想う、国境の南』での来日時にインタビューをさせていただいた時は、温和な監督という印象だったのですが、今回はかなり違いました。熱がこもるとつい早口になり、話し出したら止まらない。『セデック・バレ』製作の裏側や苦労話、そして製作を担当している次回作『KANO』(監督は『セデック・バレ』でタイモ・ワリスを演じたマー・ジーシャン)についても、たっぷり語ってくれました。映画と同じように、監督の熱い情熱が感じられるロング・インタビューをお楽しみください。
●『セデック・バレ』の演技指導について
Q:今回主演の2人は素人を起用しました。どのような演技指導をされたのでしょうか?
監督「演技指導については、キャスティングのお話をした方がいいでしょう。原住民の役者を選ぶ時は、まず眼、眼力を重視しました。眼の力がない人は選びませんでした。なぜかというと、彼らが演じるのは狩人です。狩人に眼の力がなければ魂がないも同然ですから。眼の次が外見で、それが合えば、今度は性格やキャラクターを調べます。
キャスティングの過程でいろんな人と会う時は、相手の家に出向きました。どういう経歴を持っているのか、家庭の状況はどうなのか、そういういことがわかると役柄のキャラクターが決まってきます。基本的にはそういうことをやって、一人一人の役柄を決定していきました。
次に大切なのは本性です。本来この人が持っている性格を、どうやって引出すか。人間は環境によっては、時々本性を見せませんよね。僕たちは、その本性を引出して、演技に活かすことに力を入れました。演技の訓練もしましたが、意外と一番役に立つ方法を発見しました。
普通、役者とコミュニケーションを取る時は、とにかく自信を持たせ、自分を知るようにさせます。内面的なところから始まって、外に演技を引き出していくのですが、役者にどうやって自信を持たせるか、どうやって自分を信じさせるか、という問題もあります。結局、自分が役柄そのものだと信じることができないと、その演技は表面的なものに留まってしまうのです。演技の訓練をする時、森へ連れて行って歩いてもらうと、なんとなくうまく歩いてくれるのですが、それが演技となるとなかなかうまくできない。そこに大きな問題がありました。そこで、環境が持っている力はとても大きいことを発見したのです。
たとえば、撮影現場で作っていた部落のセットが完成し、役者全員が民族衣装を着て、髪を束ね、素足で歩いて部落へ入って行く。すると、指示もしていないのに、彼らは自然に木を探してきて火をつけ、暖をとったり、囲んでしゃがんだりするんですね。それはまさに、100年近く前の原住民の写真とそっくりでした。ああやっぱり、彼らの身体の中には原住民の血が流れているんだなあと。その時点で、彼らも全員、自分たちはセデック人だと確信するわけです。だから、演技がやりやすくなる。それは意外な発見でした。
従って、僕が演技指導をしたのは、演技をやる範囲を教えたり、ちょっとした小さな仕種をこちらで作って教える。それだけでした」
●ジョン・ウー監督からのアドバイス
Q:小学校のシーンでジョン・ウー監督がアドバイスに来ていますが、影響を受けたことはありますか?
監督「監督の提案で『教育問題も文化の衝突と密接な関係を持っている部分だから、映画全体の芝居は増えないようにして、こういうことも取り入れたらどうですか?』というのがありました。確かに、花岡も小学校の教師をやりながら警察をやっているということで、それはそうだと。この部分をストーリーに取り入れることで、文化の衝突がより強く、鮮明に現れるので、それはいいと思い、小学校のセットを追加しました。メインではないけど、間に繋ぎとして現れることで、学校文化のそういう面がより鮮明になったと思います」
●この映画が持つ精神性について
Q:日本人には「武士道」につながる潔さなど理解しやすい部分がありますが、そういう部分を監督はどのように捉えたのですか? また、どういうい点に気をつけて表現しましたか?
監督「これは観念の話でもあります。死に対する考え方とか、武士道精神もそうですが、いろんな観念があり、全部を受け入れられるものではありません。じゃあ、受け入れられないからといって、理解や認識することも拒むのかというと、それも違うと思うのです。
実はこの映画を撮る前に、いろんなフィールドワークをやり、様々な価値観に接しました。私自身はクリスチャンですが、この仕事をする前は、他の宗教や価値観にはあまり寛容的ではありませんでした。でもこの『セデック・バレ』を撮ることで、フィールドワークを経験したことで、考えが変わった。心が寛くなり、いろんな価値観を受け入れられるようになりました。これは僕の信仰心が変わったということではなく、むしろ心が寛くなることで、自分の信仰もより自然に近づいたような気がします」(次頁へ続く)
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