『ホテルアイリス』小川洋子 × 永瀬正敏 公式対談
© 長谷工作室
ロケーションが映画に及ぼすもの
Q:劇中、台湾・金門島のロケーションが非常に魅力的でしたね。道にレンガが敷き詰められていたり、 建物が石造りだったり。先ほど永瀬さんが言及された、まるでモン・サン=ミシェルのように、潮が引くと歩道が現れる孤島も、原作小説の雰囲気にぴったりでした。
小川「素晴らしいですよね。よくこんな場所があったなって。しかもホテルアイリスの建物が、実際も民宿だと聞いて、『ああ、小説家が想像して作ったものだと思っても、実はこの世界のどこかにそれは存在してるんだな』と、ちょっと面白い錯覚に陥りました」
永瀬「ロケーションは役を演じる上で、いわば共演者の一人みたいなもの。非常に大切なんです。小川さんが今おっしゃったように、金門島は原作のイメージにスッとつながって、監督はよく探されたなと思いました」
Q:ロケーションという意味では、お二人はそれぞれ、どんな部分が印象に残りましたか?
永瀬「やはり潮が引くと現れる歩道ですね。たしか、朝方と夕方の一瞬しか歩いて渡れなかったんじゃなかったかな。限られた時間の中でどう撮影するか? スタッフの皆さんは大変だったでしょうが、様々なアイデアを出し合って撮影できた。この歩道のあり方が作品にぴったりだと思いました」
小川「私は、小説では大きい遊覧船で行き来するイメージだったんですが、映画では渡し舟風になっていて。その舟を漕ぐ売店のおじさんの佇まいが、すごくよかったんですよね。海辺にある売店や、売っているものの感じとかも。自分の小説にも、この人を登場させたかったと思ったほどでした」
Q:台湾人俳優、リー・カンション(李康生)さんが意味ありげな視線で演じていましたね。
小川「マリと翻訳家は切実な状況にあります。おじさんはこの二人とは全く無関係の立場にいながら、彼らをあちらへ渡すという、実はとてつもなく重要な役目を果たしていて。そのことに気づいていないのか、それとも気づいていないふりをしているのか、あの不機嫌で、無責任な感じが印象的でした」
日本と台湾のコラボレーション
Q:この映画はバイリンガルで、劇中、日本人のキャストが 話すのは日本語、台湾人のキャストが話すのは北京語です。 でも台湾人の陸夏さんが演じるマリだけが、母語の北京語 と、母語でない日本語の両方を話します。
小川「それは、この映画の大事な要素の一つだと思います。マリと翻訳家がやりとりし合うのは、"言葉にならないもの"です。なぜ言語が混じり合っているのか、最初は不自然に思われる方もいるかわかりません。でも言語や言葉の意味なんて、この二人にはあまり 関係ないことが、映画を観ていくうちにだんだんわかってくるんですよね。二人はまるで小鳥がさえずり合うように、"意味じゃないもの"をやりとりしている。あるいは、肉体と肉体をやりとりしている。そういう関係性を一つ、言語の問題が象徴していると思います」
Q:小川さんが過去のインタビューでおっしゃってきた「文学は、言葉にできないことを言葉にしようとすること」という考え方とも少しリンクしますね。
小川「ちゃんと言葉でわかるように説明してくれ、という気持ちになるかもしれません。でも実は、言葉にならない部分に重要な真実が隠れている。そこまで行き着いてほしいなと思います」
Q:陸夏さんは今回が映画初出演。日本語のセリフや、ヌードのシーンがある中、堂々と演じてらっしゃいました。
永瀬「肝が座っていましたね、最初から。今回の現場には台湾人のスタッフも、若くてしっかりした女性が多かったから、安心できる現場だったんじゃないかなと思います」
Q:肝が据わっていると、どういうところから感じましたか?
永瀬「マリが翻訳家と関係を持つシーンの撮影のとき、陸夏は待ち時間もずっとあの部屋の中に、体に何か一枚羽織っている程度のままでいたんですよね。そうすることで何かを自分の中に入れて、マリに変わろうとしていたのかな。初めての映画ということもあり、とにかくなんでも吸収しようと一生懸命準備していた姿をよく覚えています」
Q:態度を見ているだけで、本気度が伝わってきたと。
永瀬「かなり不安もあっただろうし、いろいろ思い悩んだと思うんです。そういうときは、みんなで夜ご飯を食べに行って。(撮影は コロナ禍前の2018年で)まだそういうことができる時期だったので。『みんなで明日も頑張りましょうー!』なんてふざけて言い合ったりしました」
永瀬正敏、マー・ジーシャン、リー・カンション、ツァイ・ミンリャン監督の豪華4ショット
Q:映画はシリアスですが、現場は和気藹々とした感じだったんですね。そういえばマリの父親を演じたマー・ジーシャン(馬志翔)さんは、永瀬さん主演の2014年の台湾映画『KANO 1931海の向こうの甲子園』の監督でしたね。
永瀬「出演してくれて嬉しかったですね。元々素晴らしい俳優さんでもあるので、俳優同士で共演できたのも嬉しかったです。実はサプライズで『KANO 1931海の向こうの甲子園』のスタッフが10人くらい、金門島で僕が泊まっていたホテルまで来てくれたんですよ。きっ とマーさんが『永瀬が台湾に来てるよ』って言ってくれたんだと思うんですけど。びっくりして、でもうれしくて、廊下で記念写真を撮ったりしました」
Q:ツァイ・ミンリャン(蔡明亮)監督も現場にいらしたそうですね。
永瀬「ツァイさんとも沢山お話ができて楽しかったです。以前、国際映画祭等でちらっとお会いしたことはありましたが、あまりお話できていなかっいたので。撮影が終わるとホテルのテラスで毎日マーさんと3人で深い時間まで話してましたね」
Q:小川さんから永瀬さんへ、何か映画のことで聞きたいことがあればぜひ。
小川「あの海辺のシーンの足は、やっぱり永瀬さんの足なんですか?」
永瀬「それは……。」
小川「あ、言わない方がいい?(笑)」
小説『ホテル・アイリス』では、冴えない外見の初老男性として描かれていた翻訳家。今回はその翻訳家を、大人の魅力漂う永瀬正敏さんが演じましたが、小川さんは「キャラクターの本質を体現していた」と絶賛! 永瀬さんも現場で「原作を何度も読み返していた」そう。取材が終わるとボロボロになった文庫本を取り出し、小川さんにサインを求めていました。
(本文&写真提供:リアリーライクフィルムズ)
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