『KANO』を撮ったことで
大きく前進できた
−マー・ジーシアン(馬志翔)
華流ファンの間では俳優として人気の高いマー・ジーシアン(馬志翔/Umin Boya)。原住民出身、しかもセデック族ということで、主演するのではないかと噂されていた『セデック・バレ』では、モーナ・ルダオと対立するタイモ・ワリス役を精悍に演じていました。
そんなマー・ジーシアンのもう一つの顔が映画監督。すでにテレビドラマを何本か手がけて注目されていますが、劇場用長編映画を任されたのは今回が初めて。しかも台湾映画最大級の製作費をかけた3時間におよぶ超大作です。そして昨年2月に台湾で公開された『KANO』はロングランヒットとなり、興収3億台湾ドル(10億円)を突破。その後、2度もアンコール上映されるなど、昨年の台湾ではまさにKANO旋風が巻き起こりました。
そしていよいよ、待望の日本公開がスタート。アジクロでは、製作を担当したウェイ・ダーションプロデューサーと映画監督として大きな一歩を踏み出したマー・ジーシアン監督、それぞれに単独インタビューを行ないました。まずは、マー・ジーシアン監督とのインタビューをお楽しみください。
●俳優から映画監督へ
Q:マー・ジーシアンさんはすでに俳優として有名ですが、30歳になる少し前頃からドラマを撮り始めていますね。
監督「28歳ですね(笑)」
Q:監督を目指していたのですか?
監督「実はもともと、俳優になる気もなかったんです。俳優業は大学の学費稼ぎで始めました。ずっといろいろなアルバイトをしていたんですが、俳優を始めた頃、たまたまチェン・ユーシュン(陳玉勲)監督と出会い『CMに出てみないか?』と誘われました。それから、チェン・ユーシュン監督の紹介で、ワン・シャオディ(王小棣)監督のドラマ(デビュー作の「大醫院小醫師」)に出るようになりました。
やってみたら、他のアルバイトよりも俳優業の方が稼げたので、俳優をやるようになりました(笑)。でも、俳優というのはずっと監督に選ばれる立場。自分の意思よりも、監督の意思を通すのに協力する立場です。自分が思ったものをちゃんと撮りたくなったのが、監督をしたいと思った始まりでした」
Q:特に監督の勉強をしたというのではなく、現場で覚えていったのですね?
監督「俳優業をやりながらですね。当時は俳優の角度で作品を見ていましたが、専門的な勉強をしたことはなくて、映画監督とはどういう職業なのか?というノウハウの勉強は本を買って読む程度でした。実践はテレビドラマの監督をやりながら徐々に技術を蓄積し、映画へと進んできました。やはり監督という職業は、順番にいろんなステップを踏んで修行していかなくてはなりません。基礎から、例えばスクリプターから始めて、助監督、テレビの監督、それから映画の監督という風に順番にやってきました。
ウェイプロデューサーも同じで、映画を専門に学んだわけではありません。まず自分で映画監督をしたいという思いがあり、それから順番に基礎訓練を経て、現場で教わってきたというところは同じです。俳優をしていたときは俳優としてでしたが、今回は俳優としての目線を全部捨て、監督として必死に取り組みました」
Q:ご自分で出たいとは思いませんでしたか?
監督「ゼンゼン(笑)。それはないですね。『KANO』の場合、自分で何かの役を演じようと思わなかったのは、監督に専念したいと思ったから。やはり自分で演技もやり、監督もやるとふらふらしてしまいますから、腰を据えて監督だけに取り組みたいと思いました。また、自分にふさわしい役がなかったこともあります。もし将来、自分が演じてもいいような役があれば、自分で撮って自分で演じるかもしれません」
●ウェイ・ダーションとの出会い
監督のイケメンぶりに宣伝スタッフさんたちもうっとり
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Q:ウェイさんとの出会いは『セデック・バレ』がきっかけだったのですか?
監督「もう少し前ですね。ご存じかもしれませんが、ウェイさんは『セデック・バレ』の資金繰りで長い間苦労されており、先に短い予告編(パイロット版)を作って資金集めをしていました。その時に、僕もその予告編を観て、撮影カメラマンと知り合いだったので、ウェイさんに紹介してもらったのです。兵役に行く前で、その時に初めて監督であるウェイさんとお会いして話しました」
Q:その頃は、『セデック・バレ』にぜひ出たいということだったのでしょうか?
監督「そうです。どうしても出たかったんです」
Q:最初はモーナ・ルダオ役をやられるのではと噂されていましたね。
監督「2度目にウェイさんとお会いしたのは、『セデック・バレ』の撮影が正式に決まった時でした。僕にはタイモ・ワリスの役が来たのですが、それはその役が僕にふさわしかったからで、特にモーナ・ルダオ役でなくてもかまいませんでした」
●『KANO』を任されて
Q:ウェイさんからこの映画の監督を任された時は、どんなお気持ちでしたか?
監督「実は監督と話をしていた頃、これは野球の映画だから僕が監督するのが一番ふさわしいのでは、と内心思っていました(笑)。そしたら、ウェイさんもこれは僕に任せた方がいいと思っていたようで、二人の心が一致したんです(笑)。まさか、こんなに早く長編映画を撮る機会が来るとは思っていませんでした。それに、こんな大作を自分の長編第一作として任されたのも、思いがけないことでした。
ウェイさんが僕に任せてくださった時は、ほんとうに興奮して嬉しかったけれども、同時に大きなプレッシャーがのしかかってきました。この3年間、いろんなことがありましたが、この『KANO』を撮ったことは映画監督としてはほんとうに大躍進でした。僕を信じてバトンを渡してくださったウェイさんに、とても感謝したいです」(次頁へ続く)
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