台湾でチャンスをもらって、
台湾で生かされた
ー 蔭山征彦
(かげやまゆきひこ)
9月28日より新宿K's cinema 他で公開予定の『バオバオ フツウの家族(親愛的卵男日記)』。男女二組の同性カップルが協力しあって赤ちゃんを作ろうと努力する物語で、その過程を通じてそれぞれの愛情や信頼が試されていく展開となっています。その男性カップルの一人を演じているのが、台湾をベースに活躍している日本人俳優の蔭山征彦(かげやまゆきひこ)さんです。
蔭山さんは2012年に出演した台湾映画『父の子守唄(手機裡的眼涙)』で、日本人男優としては初の主演俳優に選ばれました。また2015年、シルヴィア・チャン(張艾嘉)監督が映画化した『あなたを、想う。(念念)』(11月2日より公開決定!)は蔭山さんの脚本から生まれた作品。本作は2015年の香港電影評論家学会大奨で推薦映画と最優秀脚本賞を受賞しており、俳優のみならず、脚本家としても大活躍されています。
そんな蔭山さんが5月に台湾文化センターでのトークイベントで来日。当時、公開が決まったばかりの『バオバオ フツウの家族』について単独インタビューをすることができましたので、公開に合わせてご紹介いたします。俳優、脚本だけでなく、音楽や演技指導など、映画全般でマルチに活躍されている蔭山さん。まずはその活動のルーツから迫ってみました。
芸能活動は日本から
Q:東京都出身ですが、いつ頃から芸能界のお仕事をされていたのですか?
蔭山「17歳の頃から日本でもやってました」
Q:タレント活動を?
蔭山「そうですね。ある芸能事務所に入って、20歳くらいまで。そこで、ちょこちょことやってました」
Q:芸能界で仕事をしたいという夢があったのですか?
蔭山「自分が情熱を注げるものって、なかなかないじゃないですか。特に僕の世代はベビーブームだったから、選択肢がいろいろあり過ぎて。そういう中で、自分が情熱を注げるものって、学校のクラブ活動以外に、なかなか見つけられなくて。たまたま、募集みたいなのを目にして、オーディションを受けに行ったのが始まりなんです。だから、最初はそんなに、特別にお芝居が好きでとか、芸能関係の仕事を絶対にしたいから、とかいうことではなかったと記憶してますね。自分の中での存在意義っていうのを、自分で感じたかったのだと思います」
Q:クラブ活動はずっとやっていらしたのですか?
蔭山「僕はずっとサッカー部でした」
Q:今も鍛えたりされてるんですか?
蔭山「今はジムに行くくらいですかね。サッカーはずっと走っているんで、ちょっともう…年齢的にはきびしいです(笑)」
Q:亜細亜大学に行かれますが、語学に興味があったのですか?
蔭山「いや、これがですね。高校最後の時に舞台をやったんです。今でいう天王洲の銀河劇場ですね」
Q:「アナザー・カントリー」ですね?
蔭山「はい。当時は天王洲アートスフィアといってましたけど、その時の主演だった大沢健さんが…僕より1つ上くらいなんですけど、その時にはすでに舞台界のプリンスみたいに言われていて、ほんとうに僕も尊敬していたんですけど、その大沢健ちゃんが亜細亜大学だったんです。それで『蔭山くん、高校を卒業したらどうするの?』って言われて、『いやあ、僕何も考えてないです。大学に行けるような頭もないし、きっとバイトでもして…」って言ったら『実は亜細亜大学にはこういう一芸一能っていうシステムがあって、ダメ元で受けてみたら?』って言ってくれたんです。で、願書まで取ってきてくれて、受けてみなよって言われて、受けて、受かったんですね。だから、亜細亜大学っていうだけなんですけど(笑)」
Q:そこで運命の歯車が一つ動いたと。
蔭山「そうなんですね。それ以来、会えてないんです。今も舞台で活躍されていますし。一応、ご自宅には連絡していて、お母様が出られたので謝意は伝えたんですけど、本人には会えていないので、いつか会ってお礼を言いたいなと思ってます」
台湾との出会い
Q:大学では中国語をやられたんですか?
蔭山「もちろん第一外国語は英語なんですけど、第二外国語として、数ある選択肢の中で中国語を選びました。それも、なんかの運命だったのかもしれません。あの当時は、第一次中国語ブームと言われてまして、各企業が中国語のできる人を優先して採用してたんです。学生側もそれを知っていたので、こぞって中国語を学んでいたというのはありますね」
地震のボランティア活動で初めて台湾へ
Q:それで、最初は中国に行かれて、台湾に行かれたのは地震のボランティアとしてだそうですね。中華圏というと、やはり中国、台湾、香港と選択肢がありますが、その中で台湾を選ばれた理由は?
蔭山「まず1つの要因として、中国に住んでいると、日本人であることがマイナスになることがありました。それから、今はいいかもしれませんが、当時はやっぱり…98年頃は、衛生面とか、街の感じとか、日本で生まれ育っていると、適応するまでなかなか難しいというのもあった。香港は広東語なんですね。当時はかなり広東語メインというのがあって、それも難しいと。
それで、地震の救済活動で台湾へ来てみて、こんなに発展していると実は知らなくて。義務教育ではあまり、台湾(の知識)って入ってこないですよね。台湾なんかのアジア的な研究をしている大学に行かないと、深く知るチャンスがない。それは大きかったですね。僕が北京にいた頃は、全員自転車でしたから。ザ・中国のあの光景。その自転車に紛れて僕も自転車に乗ってましたから、それと似た感じだと思ってたんですよ。
ところが、ボランティア活動が終わって、帰りに初めて台北に寄るんです。台北の街並を歩いたり、バスの中から見たりして、こんなに発展してるんだってびっくりしたというか、これだけ身近な、隣にある場所なのに、知らないってすごいことだなと思って。それで、大学を卒業してから、半年くらいバイトでお金を貯めて、台湾に行ったんです」
Q:中国映画や台湾映画は見ておられたんですか?
蔭山「中国語を学ぶ一環として、中国映画を見たりしてましたね。中国映画、香港、台湾…特にやっぱり、台湾映画はほぼ入手困難でしたね。入手できるのはやっぱり中国の映画なんですよ。あるとしたら、中国人がよく行く中国雑貨や食品の店。そういうお店にいくと、CDとかDVDとか、当時はVCDって言ってましたけど、そういうものが置いてあって、それを入手して、家で見て…」
Q:(アジコも懐かしい気分になり)池袋とかですよね。
蔭山「池袋とか新宿とか。わざわざ中国語の新聞を買いたいから、池袋、新宿でそういう中国語の新聞を買って読んでました。簡体字でしたけどね」(続きを読む)
続きを読む P1 > P2 > P3 ▼『バオバオ フツウの家族』作品紹介
|