自分の作品のつもりで関わってきた
−ウェイ・ダーション(魏徳聖)
マー・ジーシアン監督に続いて、脚本と製作総指揮を担当したウェイ・ダーションプロデューサーにインタビューを行ないました。『セデック・バレ』の資料を集めていた06年に、この物語を発見したというウェイプロデューサー。そこから友人と脚本を錬り始め、その間に『海角七号/君想う、国境の南』を撮影。脚本は『セデック・バレ』撮影中の10年に完成しています。
ウェイプロデューサーとお会いするのは、これが3度目。この日はご覧のように黒いセーターを着ておられます。いつもブルーの服装だったので「ブルーがお好きなのかと思っていました」と話すと、「そうでしたっけ? 青い服はもう7、8年着ているので、そろそろ着替える時期だったんでしょう(笑)」と監督。和やかな雰囲気でスタートしました。
●マー監督に任せた理由
Q:『KANO』はマー監督の作品ですが、ウェイプロデューサーのこれまでの作品と同じ雰囲気があり感動しました。
ウェイ「脚本は私も書いていますから。マー監督はまだ私の掌にあるんですよ(笑)」
Q:でも、好きなようにやらせていただいてよかったとおっしゃってましたよ。
監督「正直なところ、私は野球についてはほんとうに詳しくないので、ここはマー監督のような専門家が登板するべきでした」
Q:それでは、野球のシーンは他の方が書かれたのですか?
監督「自分で書きはしたのですが雰囲気的なものだけで、ディテールは書けませんでした。物語やストーリー展開、雰囲気的なものは私でも書けます。例えば、1塁に出た。2塁まで走って、どうだった…とか、そういう物語は書けますが、実際の撮影となると、役者がどういう動きをするのか、そういう所は私ではなくて、マー監督でないとしっかり指導できないと思いますね。
ディテールといっても、様々なディテールがあります。ストーリー展開やドラマチックな部分のディテールは、こちらでやった様々な取材から、こういう風にしようとわかりますが、実際に野球をやっている時のリズム感をどういう風につかむかは、よくわかりません。例えば、打たれたボールはどの方向に飛んでいったとか、アウトになったら次の選手は誰が交代で出るのかとか、そういう部分は私ではわからない。マー監督に任せるしかないのです」
●ストーリーはこうして作られた
Q:脚本ですが、最初はお友だち(共同脚本のチェン・チャウェイさん)に書いていただいていたそうですね? 史実と脚色のバランスはどうやってとっていったのですか?
監督「物語がどういう風に生まれたかをお話しましょう。その方がわかりやすいと思うので。まず(歴史上の)物語に出会って、友人にその話をしたところ、彼もとても興味を持ってくれました。そこで、私が集めた資料を全部読んでもらいました。蘇正生さんへのインタビューも彼と一緒にしています。その後で、嘉義農林学校の同窓会があり、その同窓会がいろんな資料を持っていたので、友人に同窓会を訪ねてもらい、またいろんな資料を集めました。その中で、すごくいいものがあったら教えてくれと伝え、連絡を取り合っていました。
次の段階で、映画のオープニングはこうでなければいけない、クロージングはこうだと決めていきます。その流れでいくと、次の場面はこれ…という風に順序をリストアップし、その順番で、オープニングからクロージングまでの物語の展開を書いてもらうことにしました。彼には脚本ではなく、まず物語を書くという作業を先にやってもらったのです。
物語の初版ができて、彼が私に投げてきたので、それを私が読んで、ここは直しましょうと二人で議論をしました。そして、また私が彼に投げ返し、彼がまたそれを受けて直して、また投げてきて、また投げ返して…そういう作業を繰り返して、最終的に二人とも『この物語はいいね』ということになった。そこから、今度は脚本に置き換えていく作業をしました。ほとんど共同作業です。もちろん、脚本の段階になっても、やり方は同じで、投げては、投げ返し…何度も往復して完成させました」
Q:これは実話ですが、創作されたのはどういう部分ですか?
監督「大きな事件は全部事実ですね。例えば試合のスコアや、どのくらい打ったとか、それらは事実です。満塁ホームランがあったり、打たれた時に皆で『いらっしゃいませ!』と叫んだり、これらも当時、ほんとうにやったことです。ただ、人物のキャラクターは全部創作ですね。史実に基づいて見た場合、事件や出来事、過程については、結果がどうなったという詳細な記述が全てありますが、登場人物のキャラクター描写は当然のことながらありません。それから、出来事が起こった時間についても、ある程度の前後調整をしました」
●映画初出演の甥っ子さんも大活躍
Q:将来の呉波選手役で監督の甥ごさん(ウェイ・チーアンくん)が出ておられますね。
監督「あれは弟の息子です(笑)。呉波も実在の選手ですよ」
Q:ぜひ、出たいということだったのですか?
監督「実は『セデック・バレ』のキャスティングの時、とてもやりたがっていたのですが、あの映画は原住民のお話だから絶対合わないのでやらせませんでした。今回、彼が出演したきっかけですが、たまたま私の息子が台南で手術を受けまして、その時にお見舞に来たのです。久しぶりに会ってみると大きくなっていて、手足が長くてすごくいい身体つきになっていました。それで、彼には内緒で、会社のキャスティング担当に『こういう子がいるので、一度オーディションに呼んでみてください』と話しました。オーディションに来る人はたくさんいますから、結果はどうであれ、監督に見てもらって、その中でもし選ばれたら出演してもらおうと思ったのです。そしたら、選ばれてしまった(笑)」
帽子が印象的で、すごく目立ついいキャラクターでしたよ。
監督「ありがとうございます」(次頁へ続く)
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