ただ、映画の中で私が描いているのは怒りではありません。中国に対する理解が足りないこともあるだろうし、疑ったり、困ったり、かなり失望したりと…そういう気持ちはもちろんあります。中国という国は、共産党が49年に政権を取り、その後、文化大革命やいろんなことがありました。また過去には封建的な考え方や価値観があり、汎植民地の経験もあります。いろんな要素が混ざって、今の中国人の独特な感覚を形成したのではないかと思います。
さきほどおっしゃったセリフはとても重要です。人間というのは、皆、自己中心的だと思うのです。これが人間性そのもの、本質だと思います。ひょっとしたら中国人はより自己中心的なのかもしれないし、明らかにそう思われているかもしれません。でも、他人も皆、自己中心的ですよね。多分、人間だからこそ皆、自己中心的だと思うんです。環境のせいで、モラル的な批判があったりするのかもしれません。
私が映画で描いているのは怒りではなく、こういった描写を通して皆さんに考えてもらいたいのです。たまには相手の立場に立って物事を考えると、相手のいいところもいろいろ見えてくるということを。例えば映画の中の人々は、皆自己中心的ですが、わりと優しい善良な一面も持っていますよね。いいところもある。だから、世の中や社会がどんなに閉鎖的で出口が見えなくても、人間の温かさ、情や善良なものは、ある種の希望をもたらしてくれると、私は信じています。
様々なジャンルで人間を描いてきたピーター・チャン監督
この映画の構成は、前半と後半で描く角度が違います。前半は子供たちが誘拐された親の立場から。誘拐犯や育ての親はひどい、こういう奴らは悪役で加害者だと。そこで後半は、新たに加害者の立場から描いてみようと思いました。すると、この育ての親も実は被害者だと気づいたのです。これはたまたま事件の中にあった要素ですが、私たちはこれを巡って議論することができます。つまり、先ほどのセリフに戻りますが、相手の立場に立ってたまに考えてみると、問題が違ってくる。複眼的な問題の見方をすれば、いろんな角度からいろんなものが見えてきます。
今、世の中ではいろんな問題が起きていますが、あいつは悪い奴で敵だと決め込んでしまう。それはそれでいいけれど、たまに相手の立場に立ってみると、悪い奴でも自分がやってることはそれが正しいと思っているんですね。逆にあなたたちが悪いと。置き換えて考えてみるだけでも、多分何かが見えてきます。それが今回、映画の中のこのセリフに一番こだわった部分なのです」
Q:この物語は事件を元に描かれていますが、後半に驚きの展開を迎えます。すべて事実なのですか? それとも、意図的に創作した部分があるのでしょうか?
監督「ラストの展開は創作です。実はこの映画の中で唯一創作しているのがこの部分です。もう一箇所、弁護士を雇って裁判をしますが、この弁護士も創作です。彼女の家からもう一人女の子が発見されて、いろいろと取り調べを受けた結果、DNA検査もして彼女とは親子関係でないことがわかります。中国では、子どもが誘拐されると親たちが公安局に届け出をしますが、その時に自分たちのDNAを登録します。公安局にはDNAのデータバンクみたいなのがあるんです。彼女のDNAも照合されますが、親は見つかりませんでした。つまり、彼女の親は届け出をしていないんですね。彼女は明らかに、生まれて間もなく捨てられた赤ん坊だったのでしょう。ここは事実ですが、映画化するにあたり、これを描くとここで終わってしまいます。それだと、映画としてはどうか、という課題がありました。
男の子は取り返されたけれども、残った女の子はやはり取り戻したい。自分も一人ぼっちになってしまいますから。また、女の子も結局、福祉施設、いわゆる孤児院みたいなところに預けられて孤児になってしまう。そこで、彼女はなんとしても女の子を取り戻したくなり、福祉員に交渉し、何度も断られます。これには理由があり、とても理にかなっていました。資料を集める段階で、私も福祉院の院長先生に会ったのですが、彼が言うには、この女の子は絶対返せないそうです。彼女は誘拐犯の妻なので、もし返してしまうと世論が許さない。
ホンチンを演じたヴィッキー・チャオは多数の主演女優賞を受賞
(c)2014 We Pictures Ltd.
でも、それだと映画がそこで終わってしまいます。映画全体を見ると、これでは面白くない。社会がどんどん発展して、一人っ子政策だったり、男尊女卑や封建的な価値観、貧富の差がある。これが今の中国の現状で、その中でこういった事件が起きた。実は全員が被害者なんですね。むしろ後半になって、彼女の角度から描いてみると、彼女は強い意志を持ったいい母親であり、たとえ養女であっても自分の子どもを取り戻したいと思います。そこで、弁護士の役を脚色して創作したのです。彼女には母性愛と信念があり、養女を取り戻す為にはどんなことでもやるということにして、弁護士に頼んで裁判を起こすことにしたのです。
もともとこの事件自体がとんでもないことであり、信じられませんよね。神様の悪戯みたいで。そこでさらに、ラストに神様の悪戯みたいな展開を加えることで、この事件がとんでもないことだということがより強く伝わると思い、創作しました。このエンディングには論理があるのです。しかし、人によっては考え方や見方がまったく違うので、演出にいろいろと工夫をしました。そうすることで、このエンディングを皆さんで考えてもらえるものにしました」
ピーター・チャン監督といえば、2006年の『ウィンター・ソング』以来の来日取材で、お会いするのはほんとうにお久しぶり。精力的に話す姿勢は少しも変わらず、今回も質問の2倍、3倍のお話をたっぷりと語ってくれました。本作は実話にもとづく社会派ドラマですが、シリアスな中にも監督らしい細やかな人間描写と温かさ、適度なユーモアも交えて描かれており、重くなり過ぎないよう配慮されています。衝撃的なラストで終わる本作ですが、ヴィッキー・チャオ演じる母親が一体どうなっていくのか、観客それぞれの価値観や受け取り方で、解釈も異なってくることでしょう。ぜひ、劇場でご堪能ください。尚、気になる次回作については、東京フィルメックスのQ&Aで語ってくれていますが、2014年に引退宣言をした中国のプロテニスプレイヤー、リー・ナ(李娜)による自伝の映画化を準備中です。
(2015年11月26日 パレスホテルにて4媒体合同インタビュー)
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