カンヌで「アジアの風」は吹いたけれど
今年のカンヌ国際映画祭は、アジア旋風が吹き荒れた年として記憶される結果になった。そもそもコンペティション部門のエントリーだけでアジアの映画が3分の1を占め、アジア映画通でならしたクエンティン・タランティーノが審査員長を務めるという段階で、すでに格好の材料はそろっていた。
結局、最高賞のパルムドールはマイケル・ムーア監督のドキュメンタリー『華氏911』に渡ったものの、グランプリには韓国の『オールド・ボーイ』、審査員賞に米国の『レディ・キラーズ』と並んで、タイの『トロピカル・マラディ』が選ばれ、日本の柳楽優弥と香港のマギー・チャン(張曼玉)が男優賞・女優賞の栄冠に輝いた。受賞を伝える翌日の記事では、朝日新聞が社説で「アジアの風が吹いた」と形容し、香港の明報では「亜州電影抬頭」との見出しが踊り、ロイターは、グランプリを受賞した韓国のパク・チャヌク監督の「アジア映画は、映画の主流に影響を強めつつある」との確信を伝えた。
しかし、今年のカンヌで審査員を務めた香港のツイ・ハーク(徐克)監督は、「海外の映画祭に参加している作品が必ずしも、アジア映画の発展を代表しているわけではない」との冷静な見解を述べている。おそらく彼の認識には、80年代、90年代に比べて、市場規模の縮小、製作本数の減少、創造性の喪失などで危機的状況にある現在の香港映画界の苦境が念頭にあるのだろう。
映画は芸術性だけではなく、産業としての活力も不可欠であると考えるツイ・ハークの言を待つまでもなく、国際映画祭の受賞結果だけでは、各国の映画産業の将来を占う材料としては不十分である。映画祭と同時に進行するフィルムマーケットでの動きが、世界の映画勢力地図を如実に示すのだろうけれども、残念ながら、華やかなスターや受賞作の話題に隠れて、映画業界の動きが、これまで一般紙のニュースになることはあまりなかった。
ただし今年は、政府・民間が初めて一致協力してカンヌに「日本パビリオン」を新設し、フィルムマーケットでの日本ブースも拡充して、日本映画のプロモーションに積極的に取り組む姿勢が見られたとの記事が大きく取り上げられた。これまで、日本のメジャー映画会社は、海外での売り込みには消極的であり、逆に海外市場を重視したい独立系プロダクションには出品のための資金が乏しいという悪循環があったが、ようやく明るい展望が開けてきたようだ。官民が一丸となって映画産業のてこ入れをはかる韓国映画の大躍進を目の当たりにし、遅まきながら日本政府も重い腰をあげたのだろう。
ただ、自国映画が海外市場を獲得して発展していくという発想だけにとどまっていたのでは、日本映画の未来に薔薇色の夢は描けないだろう。カンヌ出品作を一瞥しただけでも、映画製作のグローバル化、ボーダレス化が、大きな影響を及ぼしていることは明らかだ。韓国の「オールド・ボーイ」が日本の漫画を原作とし、マギー・チャンはフランス映画への出演で女優賞を掴み、ウォン・カーウァイ(王家衛)は『2046』で木村拓哉を起用することで、多いに日本のマスコミの関心を獲得した。いま日本映画が真剣に取り組むべきは、アジア各国との合作であり、交流だろうと思われる。
2002年にピーター・チャン(陳可辛)が韓国、タイ、香港合作のオムニバス・ホラー映画『THREE/臨死』の製作を企画したとき、日本の製作会社は、アジアの才能を結集してつくる映画の先進性と競争力をいまだ過少評価していたのではないだろうか。そういう意味では、日本のマスコミ報道だけに頼らず、インターネットなどで自ら情報を収集し、アジア各国の合作の動きに注目していた日本の香港映画や韓国映画ファンのほうが、一歩も二歩も先を行っていた。
しかし、日本の映画会社も昨今の「韓流」のすさまじい勢いを見せつけられて、ようやく、アジアに本格的な視線を向けるようになったようだ。ピーター・チャンのプロデュースによるオムニバス第二作『アジアン・カース・ストーリー』(仮題)では、香港、韓国と並んで、日本の三池崇史がメガホンを取る。台湾を舞台にした『極道黒社会 RAINY DOG』(1997)、香港で撮影した『DEAD OR ALIVE FINAL』(2001)で、日本映画の枠を越えたアジアのテイストを存分に堪能させてくれた監督が、アジアの優れた映画人と組んで、いかなる「アジア映画」の可能性を見せてくれるか、大いに期待したい。
(2004年6月10日)
text by イェン●プロフィール
映画史研究を専門とする。香港・台湾電影と中華ポップスを愛好。目下、アメリカで出版された香港映画研究書の翻訳に悪戦苦闘中。
|
|