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asicro column

更新日:2007.2.5

電影つれづれ草
香港−日本の越境フィルム

 さる7月1日、東京都内で、香港映画『頭文字D』の記者会見が華やかに行われたという記事をネット上で読んだ。『頭文字D』はご存知の通り日本の人気漫画を原作としているが、この方面にはとことん疎い私は、香港のある新聞がご丁寧にも掲載した、劇中の「人物関係図」のおかげで、おおまかながら物語の輪郭をつかむことができたという次第。

 これが映画初主演となる台湾の人気シンガー、ジェイ・チョウ(周杰倫)の役名は原作そのままの「藤原拓海」。彼のライバル・レーサーを演じるエディソン・チャン(陳冠希)やショーン・ユー(余文樂)たちも、全て日本名のままらしい。日本の少女漫画をドラマ化した台湾の『流星花園』のように、登場人物の名を踏襲する例はあるが、香港映画において、原作となった日本の小説や漫画の設定をほとんどそのままに、オール日本ロケで撮るというのは、これまでにもあったのだろうか?

 そんな好奇心にかられて、書棚の奥深くにある資料を引っ掻き回し、目当てのリストをようやく探し出した。かつて必要があって、1980年から2002年までに、香港と日本の間で製作協力がなされた映画のリストを作ったことがあったのである。資本面での合作やスタッフ・キャストの相互交流だけでなく、日本や香港でのロケ作品、日本の原作もの、実際は日本人俳優が登場しなくても、日本人が重要なモチーフとして扱われている作品までも含めている。

 リストをつらつら眺めていると、いくつか興味深い点が浮かびあがってきた。80年代から90年代はじめに日本でロケをしたり、日本をキーワードにした映画をとったのは、いわゆる「香港ニュー・ウェーブ」として括られる監督たちが目立つ。たとえばパトリック・タム(譚家明)の『烈火青春』(1982)や『最後勝利』(1987)、レオン・ポーチ(梁普智)の『風の輝く朝に』(1984)、エディ・フォン(方令正)の『郁達夫傳記』(1988)や『川島芳子』(1990)、アン・ホイ(許鞍華)の『客途秋恨』(1990)や『極道追踪』(1991)等々。

 これらの作品では、時代背景は様々だが、日中戦争時の経験や、日本社会における異邦人としての香港人の苦闘などがテーマとなっている。80年代に香港に押し寄せた日本のポピュラー文化の影響や、日本赤軍の理不尽な暴力を、かつての日本軍による侵略の記憶と重ねた『烈火青春』は、この時期の香港知識人による、ある種の日本観を体現していた。しかし一方では異文化に対する強い関心もあって、彼らは日本に対して愛憎相半ばするような感情を抱いていたようにも思える。

 しかし90年代の中頃から、このような日本イメージは大きく変わってきたようだ。『南京の基督』(1995)でレオン・カーファイ(梁家輝)が芥川龍之介をモデルにした日本人作家を演じ、富田靖子が薄幸の中国人少女を演じたのを皮きりに、『キッチン』(1997)、『不夜城』(1998)、『東京攻略』(2000)、『異邦人たち』(2000)、『恋戦。OKINAWA Rendez-vous』(2000)、『痩身男女』(2001)、『DEAD OR ALIVE FINAL』(2001)などでは、俳優自身のナショナリティとは無関係に役柄が設定されていたり、演ずるアイデンティティそのものが曖昧だったりする。

 『東京攻略』のヒーロー、トニー・レオン(梁朝偉)は、子供の頃日本に移民した香港人という設定の割には、実に怪しげな日本語を話すが、東京の街を自由闊達に飛びまわって華麗なアクションを披露し、広東語を流暢に操る美女揃いの日本人助手たちに取り巻かれている。『痩身男女』のサミー・チェン(鄭秀文)やアンディ・ラウ(劉徳華)、そして『恋戦。OKINAWA Rendez-vous』のレスリー・チャン(張國榮)やフェイ・ウォン(王菲)は、『最後勝利』や『極道追踪』の香港人が日本社会で味わった疎外感や挫折とはまるで無縁であり、ダイエットや恋のゆくえだけを心配していればいい。

 観ているこちらとすれば、『東京攻略』や『恋戦〜』で描かれる、およそあり得ないシチュエーションに対して、香港の観客が、日本には広東語を話す人がたくさんいて、香港の文化も隅々まで日本の社会に浸透していると誤解するのではないか?と、いらぬ心配までしてしまう。これらの映画では、香港の女性雑誌で特集されるような、おしゃれな日本の外景を利用しながら、香港人の日常がそのまま持ちこまれており、日本はトレンディな場所としての表層的な興味の対象以上のものではないようだ。

 以上の作品に顕著に見られる香港と日本の距離感の喪失は、まさに90年代半ば以降に出てきた現象だろう。戦争の記憶もいまだ薄れてはいず、経済的な格差もあり、文化的には一方的に日本に憧れの眼差しを向けていた80年代までの香港映画では、このような両者の描き方はあり得なかった。90年代に入って、香港は豊かになり、様々なレベルでの人的交流は密になり、インターネットにより、情報はほとんど時間差なく入ってくる。香港や日本の少なからぬ人々にとって、相手の国は週末にちょっと出かけられる身近な存在になった。

 かくして、グローバル化やボーダーレス化は、ますます両地域やアジア全域の一体化を強めていくのだろうか? もちろんそれを否定はできない。けれども、身辺に同じようなモノが溢れているからといって、同じ価値観を共有しているとは限らないし、情報の多さが理解を深めるわけでもない。むしろ誤解や偏見を強めることすらあり得る。それでも、私は「越境フィルム」に期待してしまう。文化の違いを認めつつも、互いに対する深い理解に基づいた作品がいつかは登場してくれるであろうことを。

 さて、そんなことを生真面目に考えていたら、香港では『東京攻略』の続編として『韓国攻略』の企画が進行中、というニュースが飛びこんできた。まったく、したたかな香港映画人ときたら臆面もなく、こんどは韓国に攻勢をかけようっていうんですか。やれやれ…。

(2004年7月11日)

text by イェン●プロフィール
映画史研究を専門とする。香港・台湾電影と中華ポップスを愛好。目下、アメリカで出版された香港映画研究書の翻訳に悪戦苦闘中。

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●筆者関連本情報:
『男たちの絆、アジア映画
 ホモソーシャルな欲望』
(四方田犬彦・斎藤綾子共編)
 4月刊行 平凡社/2525円

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