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asicro column

更新日:2007.2.5

電影つれづれ草
ふたりのヨシコ−李香蘭と川島芳子

 今回の東京国際映画祭で久しぶりに、チャウ・シンチーの新作『カンフー・ハッスル』を見たのをきっかけにして、彼の旧作がいろいろ見たくなった。その中の一本『0061 北京より愛を込めて!?』を見直していて、思い出したことがある。

 この映画のヒロイン、アニタ・ユンは李香蘭の娘で、売国奴の子供という汚名を背負っているため、中国の女スパイとして忠誠を示さなければならないことになっている。劇中でシンチーは、ジャッキー・チョンのヒット曲「李香蘭」をピアノで弾き語ってみせて、彼女の頑なな心をほぐそうとする。

 李香蘭が売国奴だと言うのは事実とは違うのだが、シンチー映画に教科書的な正確さを求めるのは野暮の骨頂なので、以前にこれを見たときには、深く気に留めるということもなかった。しかしその後、あるエピソードを聞いて、『北京より愛を込めて!?』での設定がなるほどと思えたのである。

 私の知人が香港人の友人二人とカラオケに行き、そのひとりが「李香蘭」を歌ったのをきっかけに、李香蘭本人のことに話題が及んだ。しかし彼女はどうも話が食い違うことに気づいた。香港人たちは、李香蘭がマタハリのような女スパイで、すでに故人であるというような口ぶり。そこで、戦後は日本で活躍し、代議士にまでなった人であるというと、今度は香港人たちが驚いてしまった。

 それで、彼女は、李香蘭の本名は山口淑子で、中国人ではないので、戦時中はあたかも中国人女優であるかのように売り出され、国策宣伝に利用されはしたけれども、スパイや売国奴ではないのだと少し詳しく説明すると、ふたりは、ヨシコ…という名前は確かだけれど、姓はヤマグチ?という顔をした。それで、知人はぴんときたという。香港人たちは、李香蘭(山口淑子)と同時期に活躍した川島芳子とをごっちゃにしていたのだ。

 それだけだったら、植民地教育の弊害なのかどうか知らないが、香港人の多くは中国史に関しては、かなりあやしい知識しかないらしい、という俗説の卑近な例を提供するだけだったかもしれない。しかしその後、私はもう一本の香港映画で、さらに李香蘭と川島芳子が一体化している例を知った。ツイ・ハークとチン・シウトンが共同監督をした『財叔之横掃千軍』という映画だが、日本ではおそらくほとんど知られていない作品だろう。

 これは、満州国を事実上支配する日本軍に対して、財叔と呼ばれる老医者とその仲間がゲリラ戦を挑む戦争活劇で、皇帝溥儀を意のままにあやつる野心的な日本軍将校をレオン・カーファイが演じている。その愛人で、表向きは美貌の中国人女優だが、実は日本の女スパイであるジョイス・コウ演じる妖艶な悪女が、まさに李香蘭と川島芳子の2重イメージを背負ったキャラクターなのである。731部隊を彷彿とさせる極秘の毒ガス兵器工場も出てきて、荒唐無稽な描き方はしていても、日本人にはいちいち思い当たる歴史的事実がベースにはある。

 ツイ・ハークらは意図的に、李香蘭と川島芳子を合体させたのかもしれないが、このような映画でのイメージを通して、伝記的事実からは離れて「李香蘭」という名前が、香港では一人歩きしているらしいことが、おぼろげながらわかってきた。

 川島芳子は、清朝の皇女として生まれたが、日本の大陸侵攻を画策する川島浪速の養女となり日本で教育を受ける。のちに満州に渡り、皇帝溥儀の親族として、また日本軍の一員として陰に陽に活躍する。男装で通し、派手な私生活が喧伝されるなど、さまざまな風聞を撒き散らすが、日本の敗戦とともに軍事裁判にかけられ、漢奸(中国人売国奴)として銃殺された。因みに川島芳子を主人公にした映画は、日本、香港、中国でそれぞれ3本つくられている。エディ・フォンが監督した香港版では、アニタ・ムイがヒロインを演じた。

 李香蘭こと山口淑子は、敗戦のとき上海にいたが、広く中国人女優と思われていたため、中国側に身柄を拘束され、漢奸裁判にかけられる。彼女も川島芳子と同じ運命をたどっても不思議はなかったが、親友のロシア人女性リュ−バの機転で、北京にいる両親から戸籍謄本が法廷に届けられ、日本人であることが証明されたため、彼女は九死に一生を得たのである。

 1950年代に、山口淑子は一時、李香蘭という芸名に戻って香港のショウ・ブラザーズで4本の映画を撮った。さらに下って1992年の香港国際映画祭では「李香蘭国際シンポジウム」が開催された。パネリストのひとりであった監督のメイベル・チャンは、その時、実現はしなかったが、コン・リーを主演に『李香蘭』という映画を撮る準備をしていたという。同じくパネリストとして参加した四方田犬彦氏は、この時のメイベル・チャンの言葉を引いて、次のように語っている。

 「『わたしがどうして李香蘭に惹かれるかといえば、それは現在、すべての香港人が李香蘭だからです。』この発言は、中国への返還を5年後に控えて、イギリスにも中国にも決定的な帰属を果たすことができないでいた当時の香港人の心境を、みごとにいい当てていた。」(『日本の女優』岩波書店/2000年)

 1987年に山口淑子は『李香蘭 私の半生』という自叙伝を出版する。翌年にはそれを原作として5時間の長編テレビドラマ『さよなら李香蘭』が坂口靖子主演で作られた。四方田氏によれば、このドラマは後に北京・上海でも放映されたという。このドラマの主題歌として玉置浩二が歌った「行かないで」に広東語の歌詞を付け、ジャッキー・チョンがカバーした「李香蘭」は中国語圏で大ヒットし、チャウ・シンチー映画にも登場するのは、最初に述べたとおりだ。

 日本では劇団四季による『ミュージカル李香蘭』が1991年に初演されて以来、いくたびか再演されているので、日中戦争の知識がほとんどない日本の若い世代も、李香蘭という名とそれにまつわる様々なイメージは確実に受け継がれている。ここでも、川島芳子と山口淑子は、ネガとポジのような存在として象徴的に登場する。

 満州皇族の一員でありながら日本人として成長した芳子と、日本人の両親を持ちながら、中国に生まれ、中国人女優として振舞うことを余儀なくされた淑子。このふたりのヨシコの神話化はこれからも、映画やドラマ、舞台や歌を通して、日本と中国あるいは香港で、それぞれに形を変えつつ続いていくのだろうか。

(2004年11月24日)

text by イェン●プロフィール
映画史研究を専門とする。香港・台湾電影と中華ポップスを愛好。目下、アメリカで出版された香港映画研究書の翻訳に悪戦苦闘中。

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●筆者関連本情報:
『男たちの絆、アジア映画
 ホモソーシャルな欲望』
(四方田犬彦・斎藤綾子共編)
 4月刊行 平凡社/2525円

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