製作から23年後の
『烈火青春』公開に寄せて
新宿の映画館で、チラシを手にして驚いた。レスリー・チャンが1982年に主演した、香港ニューウェーブ映画を代表する一本『烈火青春』が、『嵐の青春』という邦題で公開されるという。どうして今頃になって??…やはりレスリー追悼の意味での上映か、などと我知らず自問自答してしまった。『烈火青春』というタイトルを聞くだけで、すでに様々な思いがこみあげてくる。だからここでは、耳に馴染んでいない邦題ではなく、原題を使わせていただこうと思う。
この作品は、日本では1989年の『香港ニューシネマ・フェス』という映画祭で一度上映されたことがあるというが、90年代になってからの香港映画ファンである私にとっては、映像ソフトが長らく手に入らず、ずっと幻の作品だった。それで1999年の香港国際映画祭で上映されると聞いたときには、思わず小躍りしてしまったほどだ。
香港から帰国してすぐに、まだ盛んだったパソコン通信の『アジア映画フォーラム』に感想を書きこみ、同好の人々と熱く語り合ったのも、今では懐かしい思い出のひとこまになっている。セシリア・イップ(葉童)はこれがデビュー作ではなかったかと思うのだが、新人らしからぬ大胆さと天真爛漫な持ち味が絶妙だった。レスリーにとっては、ライバルのダニー・チャンの後塵を拝するような、それまでの青春映画とは一線を画す演技で、批評家の注目を浴びた。それに、理知的で洗練されたパット・ハー(夏文汐)と、素朴で健康的な庶民階級の青年ケン・トン(湯鎮業)のカップルもなかなか新鮮だった。
冒頭、気だるげにベッドに横になって、ベートーベンのシンフォニーを聞いている青年ルイ(張國榮)のかたわらでは、テレビが、当時流行していた原宿「竹の子族」の映像を流している。日本での留学から戻ってきた従姉妹キャシー(夏文汐)が、仕舞とも日舞ともつかないような振りつけで踊ってみせたり、ルイがギャラリーで日本刀に異様な関心を示したりするのをはじめとして、この映画には「日本」という記号が執拗について回る。
70年代後半に始まり80年代に顕著になった、日本のポップ・カルチャーの香港への進出を反映して、ルイが出入りするレコード店の入口には、「日本歌星大侵略」と大書したポスターが貼られていたりする。
1980年に政府自民党が高校世界史などの一部の記述を批判し、「偏向教科書キャンペーン」を展開したことがあった。それに対し、1981−83年に中国や韓国などの国々から批判が相つぎ、教科書の「侵略か進出か」という記述をめぐって外交問題にまで発展した。劇中のポスターは、明らかにそれを揶揄しているのだ。
99年の香港での映画祭上映後のティーチインでは、日本の流行文化が、香港の若者に軽視できない影響を及ぼす問題が一つの焦点になっていた。パトリック・タム(譚家明)監督は、香港と日本との関係を「愛憎半ばする関係」と要約し、日本文化についての二面性をこの作品では描きたかったと述べている。香港の若者にとってのトレンドである日本の流行文化の背後には、残酷な文化が潜んでいることを、「赤軍」という形で表現したのだという。80年代はじめには、まだまだ戦時中の日本のイメージが、生々しく香港の人々に記憶されていたのだろう。
けれども、この映画の「日本赤軍」の場面は、あまりにも陳腐すぎて、日本人が見れば失笑してしまう。ただし、監督自身が証言していたことだが、最後の浜辺でのクライマックスシーンは、監督自身が撮影したものではなく、製作会社が付け加えたものだという。そのほかにも、レスリーとセシリア・イップのベッドシーンはずいぶんカットされたバージョンがあるらしい。監督としては『烈火青春』は納得のいく作品にはなっておらず、ディレクターズ版がいつかできればいいとも語っていた。今回の日本公開版は91分で、香港版DVDの87分に比べるといくぶんか長いが、はたしてどのような版になっているのだろうか。
韓流ブームが続く日本と、最近の韓国での対日感情悪化のニュースを読むにつけ、日本と周辺のアジア諸国の関係には、単に流行文化や芸能を享受するだけでは済まされない緊張感が絶えずつきまとっていることを、20年前、すでにこの映画は示していたのだ。
(2005年3月25日)
text by イェン●プロフィール
大学で西洋の映画の講義などをするが、近頃では、東アジア映画(日本映画も含む)しか受け付けないような体質(?)になり、困っている。韓流にはハマっていない、と言いつつドラマ『大長今』(デチャングム)に熱中。中国ドラマ『射[周鳥]英雄傳』も毎回楽しみで、目下ドラマ漬けの日々。
|
|