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asicro column

更新日:2007.2.5

電影つれづれ草
シェイクスピア劇の中国的翻案『夜宴』

 先日「第26回香港電影金像獎」のノミネート作品が発表になった。作品別に見ると、『満城盡帯黄金甲』が14部門で首位、『父子』が10部門、『SPIRIT(原題:霍元甲)』『傷城』『夜宴』『墨攻』がそれぞれ7部門で続く。

 著名監督によるアクション時代劇大作、豪華キャスト、宮廷の陰謀愛憎劇というテーマなど、少なからぬ共通点があるせいか、張藝謀監督の『満城盡帯黄金甲』と馮小剛監督の『夜宴』は中国や香港のメディアによって何かにつけ比較の対象にされてきた。私は輸入版DVDで『夜宴』を見たが、『満城盡帯黄金甲』は未見なので、両者を比較して語ることはできないし、そもそも表面的な類似点だけとりあげて、おもしろおかしく無責任に論じるようなマスコミの話題づくりに同調する気分にはなれない。

 『夜宴』は中国版ハムレットである、と紹介されることが多いので、同じく比較するのでも、原典であるシェイクスピアの『ハムレット』と対比して論じた映画評の類がないかとネットで検索もしてみたが、あいにく私が見た限りではそのような文章は見つからなかった。そこで自分なりに両者を比べてみようと思い、原典を意識しながら再度『夜宴』DVDを見直してみた。

 『夜宴』は2007年初夏に、『女帝/エンペラー』というタイトルで日本公開が決まったそうだが、現時点ではなじみのない人も多いと思うので、簡単にあらすじを紹介する。

 唐帝国が滅んだあとの10世紀初頭の中国。歴史上、五代十国と呼ばれる、小国に分裂し親兄弟や君臣の間での血なまぐさい権力闘争が各地で繰り広げられていた混乱の時代。ある国の皇太子、無鸞(呉彦祖)は、ひそかに愛していた婉児(章子怡)が父帝の后に迎えられたことがきっかけで、僻遠の地に引きこもり、歌舞音曲三昧の日々を送っていた。

 ある日、父の皇帝が崩御し、皇弟(葛優)が即位したという知らせが無鸞のもとに届き、まもなく大勢の刺客に襲われる。からくも死地を逃れ、宮廷に戻った彼が知ったのは、義母の婉児が今度は叔父である新帝の后になり、しかも父帝の死は叔父の陰謀によるものだという恐るべき真相であった。

 復讐を誓う無鸞と彼を亡き者にしようと目論む叔父、そして心中では無鸞を愛しながらも権力への野望にとりつかれていく婉后、無鸞を一途に慕う青女(周迅)、権謀術数うずまく宮廷でひたすら保身をはかる彼女の父と兄などの思惑が、皇帝の開いた夜宴の席で一挙に顕現し、物語はクライマックスを迎える…。

女帝1 女帝2

『女帝/エンペラー』6月より有楽座他、全国東宝洋画系公開予定。
(c)2006 Media Asia Films (BVI) Ltd. Huayi Brothers Film Investment Co.

 この作品に限らず、オリジナルと改編版を比較するとき、どこが同じであるかよりも、どう違うか、どこが改編されたのかを見ていくほうが私には興味深い。いうまでもなく、変更された部分にオリジナリティを見ることができるし、特に異文化圏でのリメイクの場合は、そこに文化的背景の違いが濃厚に立ち上がってくる場合が多いからだ。

 『夜宴』の場合、大きな変更は、ハムレットの実母であるガートルードを、若い女性に設定し、彼の思い人にしたこと。そして、彼女の野望を中心にすえたこと。その結果、主役の座はハムレット=無鸞ではなく、チャン・ツィイー演じる皇后に移ったことだろう。

 これについては、皇帝役を演じるグー・ヨウが舞台裏の話を披露していた。当初の構想では、皇后は原作通り中年の女性に設定されており、配役にはマギー・チャンかコン・リーが考えられていたそうだ。しかし、若い女性スターを好む傾向が強い国内市場の需要と、海外での圧倒的知名度の点で、皇后役にはチャン・ツィイーが起用され、それに伴って脚本も大幅に書き換えられたのだという。そうだとすると、本来、皇后は皇太子のもと恋人ではなく、原作同様、実母という設定だったのかもしれない。

 ガートルード王妃は、夫が亡くなった直後にその弟と結婚して、息子のハムレットから強くなじられるが、彼女の女性としての情念、すなわちクローディアス王への愛が彼女にそういう選択をさせたのであり、しかもハムレットへの母性愛も強く持っているので、彼女も一人の悲劇的な女性として描かれる場合が多い。

 皇后を道徳的に非難される悪女タイプとして表現したのは、『夜宴』独自の解釈である。もし皇后役をコン・リーが演じたとしたら、息子への深い愛と、心の奥深くに秘めた権力欲とを併せもつ、したたかで複雑な女性像をみごとに表現してくれたに違いない。チャン・ツィイーも好演してはいたが、熟女版の『夜宴』をぜひとも見てみたかった。でも、そうなると『満城盡帯黄金甲』にますます似かよってしまうだろうか…。 

 皇后自らが絶対的な権力を握ろうとするストーリーは、則天武后や西太后などを連想させる。また、シェイクスピア劇ではハムレットを筆頭に、ガートルードにせよ、オフィーリアにせよ、その性格や行動には、曖昧模糊とした点があり、またそれゆえにさまざま解釈を可能にしてもいるのだが、『夜宴』の登場人物は原作に比べると、比較的はっきりとした動機づけと個性を持っているように感じる。それは、曖昧さを嫌う中国的演出ともいえるかもしれない。

 昨年末には、新宿で開催された上海映画祭での上映作品である『ヒマラヤ王子』を見た。こちらも『ハムレット』をチベットの王宮に置き換えた翻案作品であるが、『夜宴』よりも原作に忠実である。有名なハムレットの台詞「to be or not to be」もちゃんとあるし、父王の亡霊も登場する。オフィーリアは狂気におちいり、やがて河の流れに漂って溺死する。

 けれども大きな違いは、彼女が実はハムレットの子を身ごもっており、主要人物がことごとく非業の死を遂げたあとも、奇跡的に生きていた赤子によって、王統は連綿として続くであろうという予感を持たせて終わることだろう。王室が滅んでしまうオリジナルと異なって、「血脈」が強調されている点が実に興味深かった。

(2007年2月4日)

text by イェン●プロフィール
大学で西洋の映画の講義などをするが、近頃では、東アジア映画(日本映画も含む)しか受け付けないような体質(?)になり、困っている。韓流にはハマっていない、と言いつつドラマ『大長今』(チャングムの誓い)に熱中。中国ドラマ『射[周鳥]英雄傳』も毎回楽しみで、目下ドラマ漬けの日々。

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●筆者関連本情報:
『男たちの絆、アジア映画
 ホモソーシャルな欲望』
(四方田犬彦・斎藤綾子共編)
 4月刊行 平凡社/2525円

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