中国映画製作の盛況と 「映画監督チェン・カイコーの世界」
先週、赤坂の草月ホールで開催された「中国映画祭」の初日にでかけた。オープニングセレモニーでは日中双方の映画祭関係者の挨拶のほか、日本の外務省代表のスピーチまであったので、政治面では冷え込んでいる日中関係を、文化交流で少しでもカバーしたいという政治的な思惑も垣間見える開会式ではあった。
関係者の話の中に、昨年の中国映画製作は260本に達し、今、中国映画界は活況を呈している旨の紹介があった。映画祭パンフレットの記事の中でも、暉峻創三氏が、昨年の中国の映画興行収入は前年比3割増の20億元、国外輸出額も2年連続で前年の5割増という数字をあげ、その急激な成長ぶりを紹介している。
しかし昨年製作された260本の映画のうち、劇場公開されたのは90本にとどまるという数字も一方である。その理由としては、人口に比して圧倒的に少ない映画館の数と、国家主導で映画製作が行われてきた背景から、製作ノルマの達成が第一で、商業的な利益をあげるのは二の次という、中国映画人のビジネス感覚の希薄さも指摘されている。(*参考:CRI online 2006.4.17 の記事)
しかし、チャン・イーモウ(張藝謀)やチェン・カイコー(陳凱歌)らの巨匠は、巨大市場を背景に外国資本を導入し、香港の人気スターを起用した大作映画を作って、いち早く商業路線へと転換した。
以前の張藝謀は、近代化の波が及ばない農村を舞台に、人々の伝統的で素朴で、しかも逞しい生き方を描いた作品、あるいは前近代の閉塞した社会が引き起こす悲劇をテーマとした作品で、国際的に高い評価を得たが、外国人には見せたくない中国の暗部をことさらに描いたとして、彼に対する中国政府の視線は厳しかったと言われる。しかしいまや、2008年北京オリンピック開会式セレモニーの総監督に任命されるほど、中国政府の信任は篤い。
私は以前このコラムで、多国籍の俳優を起用し、時代や場所をあえて特定しない『PROMISE』で、陳凱歌は、普遍性をもつ作品世界を創造するという野心を抱いたのかもしれない、と書いたことがある。今月はじめ、CSのディスカバリー・チャンネルで放送された「映画監督チェン・カイコーの世界」では、冒頭、まさに監督自身が単刀直入にこう語る。「私の作品が西洋の観客に好まれるのは、どこかで親近感を覚えるからですよ。私が描くのは人類普遍の物語なんです。」
この番組は、『PROMISE』のポスト・プロダクションのため、オーストラリアのシドニーにいたときのインタビューをもとに構成され、陳凱歌が監督したドキュメンタリー「大航海の英雄・鄭和」とセットで放送されたものである。
1405年、イスラム教徒で明朝の太監(高位の宦官)であった鄭和は、永楽帝の命で、300隻からなる船団と3万人もの乗組員を率いて、明の国威発揚と交易を目的とした大航海に出発する。この航海は30年間に7回も行われ、航路はインドを経由し、アラビア半島からアフリカまで達する遠大なものだった。コロンブスの「新大陸発見」に先立つことほぼ90年も前のことである。
陳凱歌は、CGを使って鄭和の巨大な船団を復元したり、俳優による再現ドラマを組み入れるなどの工夫によって、臨場感あふれるドキュメンタリーに仕立てている。私は、かつて高校世界史の教科書に載っていた、鄭和についての簡単な記述をなんとか思い出そうとしながら、一方で、膨大な制作費と長期間の製作日数を要したといわれる『PROMISE』の撮影の合間に、いつのまに、こんなドキュメンタリーを作りあげていたのだろうか、などと余計な想像をめぐらしながら見ていた。
その後の「チェン・カイコーの世界」では、『始皇帝暗殺』の大スペクタクルシーンやら、『PROMISE』の絢爛豪華な場面の編集に没頭する彼の姿をカメラはとらえている。しかし、私にとって印象深かったのは、そういった大監督然とした姿ではない。
文化大革命の最中に、自分の正当性を証明したいという気持ちにかられて、父を公開の席で糾弾したという慙愧の思いを語り、さらに北京を離れる自分を見送りに来た父とよそよそしい会話を交わしたのち、動き出す列車の後を走りながら別れを惜しんでくれた父の姿を見て、自分を許してくれていたのだと感じた、と語るときの息子としての表情だった。人類普遍の物語をつくるのだと雄弁に語る姿よりも、それらの人間くさい表情に、私は創作の原点を見た思いがした。
(2006年6月19日)
text by イェン●プロフィール
大学で西洋の映画の講義などをするが、近頃では、東アジア映画(日本映画も含む)しか受け付けないような体質(?)になり、困っている。韓流にはハマっていない、と言いつつドラマ『大長今』(チャングムの誓い)に熱中。中国ドラマ『射[周鳥]英雄傳』も毎回楽しみで、目下ドラマ漬けの日々。
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