『七人の侍』大比較!
七に因むということからなのか、七月にスカパーでは、黒沢明監督の『七人の侍』を放映し、昨年も見たのに今年もまた見てしまった。個人的な思い出だが、私にとって、この『七人の侍』は夏に不思議と縁が深い。子供の時分、夏休みのある日、深夜テレビで放映されたのを父が見ていたのにお相伴して、いつのまにか夢中になって見たのがこの映画の初体験だった。
青春時代は洋画一辺倒になってしまい、久しく日本映画を見ることもなくなっていたが、社会人になり立ての頃、ロンドンの映画博物館で、古典映画の名場面集ばかりを編集したダイジェスト版を見た。『戦艦ポチョムキン』や『市民ケーン』などとともに、久しぶりに『七人の侍』のラスト近くのクライマックスシーンを見て、ほかのどの作品よりも、激しい衝撃を受けたのも、やはり夏の日の忘れがたい記憶として今も脳裏に焼き付いている。
『七人の侍』(1954)とリメイク作品として名高い『荒野の七人』(1960)を堪能した私は、さらに香港版『七人の侍』といわれている『忠義群英』(1989)という日本未公開作品まで較べてみたくなり、結局3本ぶっ通しで見てしまった。見終わった頃は白白と夜も明けかかっていた。
この香港版は英語タイトルを『Seven Warriors』といい、1920年代の中国で匪賊の横暴に苦しむ農民を助ける七人の義勇兵が活躍する設定になっている。3本続けて見たおかげで気づいたのだが、『忠義群英』は『七人の侍』のリメイクというよりは、『荒野の七人』の翻案といったほうがいいようだ。たとえば、三船敏郎演じた菊千代と木村功が演じた若侍の役は、西部劇版では、ホルスト・ブッフホルツの鼻っ柱の強い風来坊に合体していたが、香港版もこれを踏襲し、さらにコミカルの度を加えた役をトニー・レオンが演じている。
また、オリジナル版には登場しない金儲けが目当ての、しかしどこか憎めない中年ガンマンも、ほぼそのままのキャラをウー・マ(午馬)が、そしてリーダーの片腕になるスティーブ・マックィーンの役はマックス・モク(莫少聰)が演じている。神経症的な恐怖心に悩まされる早撃ちの名手ロバート・ボーンの役が、士官学校仕込みの厳格な態度を崩さず、終始にこりともしないジャッキー・チョン(張學友)の役に変わっているのが唯一の変更点といってもいいくらいだ。
リーダー役の志村喬=ユル・ブリンナー=アダム・チェン(鄭少秋)、ストイックで腕のたつ一匹狼的なキャラクターは、宮口精二=ジェームズ・コバーン=ベン・ラム(林國斌)、子供たちに愛される無骨者は、千秋実=チャールズ・ブロンソン=シン・フィオン(成奎安)に置きかえられ、3作品に共通した役柄になっている。
リメイク作品を見るときには、どこが同じかという点に注意するのではなく、変更されている箇所に着目すべきだと言われたことがある。『荒野の七人』はオリジナル版と遜色ないくらいに良く出来た作品だと思っているが、昔から唯一不満だったのは、三船敏郎の菊千代をなぜあのように、村娘と恋におちる木村功の役と合体させてしまったのか、という点だった。
トニー・レオンも同じく合体した役どころを演じている。三船敏郎は壮絶な死をとげ、生き残った木村功は、身分という壁のために、娘とは別の道を行かざるを得ない。一方、西部劇版と香港版の生き残った若者は、恋におちた娘のために仲間とは分かれて村に残る道を選ぶ。
『七人の侍』の隠れたテーマは、実は身分制の問題だったのかもしれない。いや、隠れたテーマどころか、志村喬が最後にはっきりと言っているではないか。「今回も負け戦だったな。勝ったのは我々ではなく、あの農民たちの方だ」と(以前は陳腐な台詞と思っていたんですが…)。侍は農民に混じりあうことはないし、農民出身の三船敏郎は農民として生きるより、侍として死ぬことを選ばざるを得なかったのだ。
西部劇では、身分の違いではなく、人種や宗教の違いがほのめかされるが、それはあまり深刻な障害としては描かれない。香港版のトニー・レオンは都会から来た軟弱なペテン師だが、生死を共にしたことで障害は取り除かれ、よそ者はあっさりと受け入れられる。
しかしながら、『七人の侍』が今もって愛される理由は、このような主題にあるのではなく、秀逸なアクション場面もさることながら、七人のそれぞれに個性的なキャラクターが巧みに描き分けられている点にあるのだろう。人間的な弱みもありながら、義侠心に富む七人が大好きになってしまうからだろう。それは西部劇版にも香港版にも共通している長所である。今後も「七人」と名づけられたリメイクやもどき作品は作られるだろうが、その成功の鍵を握るのは、ひとえに観客の心を掴む、魅力的なキャラクターの造型にかかっている。
(2004年8月11日)
text by イェン●プロフィール
映画史研究を専門とする。香港・台湾電影と中華ポップスを愛好。目下、アメリカで出版された香港映画研究書の翻訳に悪戦苦闘中。
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