ウォン・カーウァイと香港文化
−也斯氏の講演を聴く
以前、SARSに見まわれた香港社会をどう見るか、という講演会で、「初めから香港の文化は、危機の中に存在し、逆境の中で困難と対峙しながら生まれてきたのだ」という語りに、なるほどと思ったことがある。そう述べたのは、也斯(イエスー)という香港の詩人にして小説家、批評家であった。
先週末、東京西郊の「パルテノン多摩」で開催された「シネ・コレクション−王家衛特集」のゲストとして来日した也斯氏の講演があるという案内をいただき、早速出向くことにした。
『欲望の翼』と『2046』の上映の合間に、也斯(本名:梁秉鈞)氏の講演がはさまれていたのだが、「王家衛(ウォン・カーウァイ)が描く香港」というタイトルの話は、ウォン・カーウァイの出現と、香港映画界での位置、香港文化との関係、そして彼の描く香港の時空間の考察など、様々な角度からの密度の濃い内容であった。
1958年生まれで、5歳のときに上海から香港に移住したウォン・カーウァイは、1980年代に脚本家として映画界に身を置くが、70年代後半から活躍をはじめたツイ・ハーク、アン・ホイ、パトリック・タムら、ニューウェーブの監督たちの影響を強く受けた。監督第一作の『いますぐ抱きしめたい』は、随所に斬新な演出はあったが、黒社会を背景にしたジャンル映画として観客の期待に応え、ヒットを収めた。
しかし第二作の『欲望の翼』はオールスター出演の話題作として前評判が高かったものの、製作期間が長引き、いざ公開されると、主流映画ではなく、特にラストのトニー・レオンの登場場面など、観客には全く理解不能で、批評家もほとんど芳しい評価を下さなかった。しかし、香港の総合カルチャー雑誌『号外』で、この映画の音楽や美術などの特集が組まれたのをきっかけとして、肯定的な評価が出始めたという。
その後も彼の作品には毀誉褒貶が相半ばしており、その最たるものが『楽園の瑕』である。しかし、的確な演出力、独特の撮影スタイル、スターの新たな魅力を引き出す手腕、印象的な台詞、音楽や美術の斬新な扱いなどは常に高く評価されている。作品が揶揄されたり、パロディの対象にされることが多いのも、他の監督には見られない現象である。
ウォン・カーウァイの映画は、決して香港の主流映画ではなく、興行成績もふるわないが、海外では高い評価がなされ、香港文化への注目を集める役割を担い続けている…。
也斯氏は、ざっと、このようにウォン・カーウァイの登場と作品の位置付けを行ない、次に、『欲望の翼』『花様年華』『2046』の、いわゆる60年代三部作への言及に移った。
『欲望の翼』には至る所に60年代を表す記号が登場する。マギー・チャンの働いていた南華体育館、黒猫印のタバコ、壜入りコーラ、今では見られない旧式の電話ボックス、アンディ・ラウの警官が記入する巡回簿などなど。原題『阿飛正傳』の阿飛、または飛仔という呼び名は、当時の反抗的若者たちを指す軽蔑的、揶揄的な呼称で、ジェイムズ・ディーン主演の『理由なき反抗』の中文タイトルでもあった。また、英語タイトルの『Days of Being Wild』は、マーロン・ブランドの主演した『乱暴者』の原題『The Wild One』に由来する。
『花様年華』では、感情を表に出さず、抑圧された気持ちを抱きながら、人々が日々の生活を送っていた60年代の空気が再現されている。ここでも、マギー・チャンが身につけるあでやかなチャイナ・ドレス、日本製の電気釜、新聞記者のトニー・レオンが生活の足しに書き始める武侠小説、上海の人気スター周[王旋]の歌う『花様的年華』やナット・キング・コールに代表される東西音楽の混在など、60年代の香港社会の記号を抜きには語れない。
『2046』は、中国政府が50年間は変わらないことを約束した、一国二制度が終わる年号であり、映画の中では、主人公にとって特別な意味を持つホテルの部屋番号である。これは取り戻せない記憶、変更できない過去のシンボルであり、到達できない理想的未来の象徴である。ウォン・カーウァイは、変転しつづける香港という都市の時間と空間の中で、政治的にであれ、個人的にであれ、変化する現実にいかに直面し、どのように対応していくのか、という問いを発し続けている…。
也斯氏は、その後フロアから出た「ウォン・カーウァイは、なぜ60年代を好んで取り上げるのか?」という質問に、以下のような興味深い回答をした。
60年代は香港社会のターニング・ポイントであった。政治的には67年の反英暴動によって、イギリスは植民地香港に対して、福祉や社会環境の改善に乗り出さざるを得なくなった。
またこの時期は、二通りの混雑した文化が特色であった。1つは上海からの文化の流入と西洋文化の混在であり、もう1つは、芸術文化と大衆文化の混交である。東西の流行歌が共存し、文芸では、金庸を代表とする武侠小説が大衆的人気を博し、一方では『花様年華』と『2046』にインスピレーションを与えた劉以鬯(リュウ・イーチャン)のような実験的・芸術的小説も登場している。
ウォン・カーウァイはこのような60年代の文化的混交が、その後の香港文化の特色を形作ってきたことに自覚的であり、自分自身もそのような様々なレベルの文化に影響を受けてきたからではないだろうか。
以上のような也斯氏の見解には、触発されることが多かった。今回の「シネ・コレクション」では上映されなかった『楽園の瑕』は、確かに評価が見事に二分されるが、個人的には、ウォン・カーウァイの中で一番好きな作品でもある。
長期にわたる撮影と中断という悪条件の中で、難産の末にうまれた失敗作ともいわれるが、私は、ウォン・カーウァイの作風のエッセンスが詰めこまれた作品であると思っている。作家自身の思いが強すぎるからこそ収拾がつかず、混沌とした印象を残してしまっているのかもしれない。そういう点では『花様年華』や『2046』のほうが、より洗練された手つきを見せているには違いない。
過去の記憶から逃れようとして、世間から一歩しりぞき、自分の元に現われては去っていく人たちの生き様を、傍観者としてシニカルに見ているレスリー・チャン演じる西毒は、『2046』のトニー・レオン演じる新聞記者に重なる。彼は、失われた恋の記憶に捕らわれるあまり、刹那的に性愛だけを求める日々を送る。
主人公は過去と現実の出来事に折り合いをつけるために、自分や周囲の人々をモデルにした未来小説を書き始める。彼は、取り戻せない記憶、変えることのできない過去をテーマにする。一方、『楽園の瑕』では、西毒が、かつての恋人から送られた、思い出を消すという酒「酔生夢死」を飲もうとして飲めず、やがて「過去を捨てようとするならば、それを心に刻め」という境地に至る。
ウォン・カーウァイはなぜ、武侠映画のブームが終焉を迎えようとしている時期に、武侠映画を撮ったのか? 出資者の現実的要請とは別に、60年代の記憶という、『欲望の翼』からの余韻を引きずっていたのかもしれない。金庸の『射[周鳥]英雄伝』を原作としたのは名ばかりと思われがちだが、必ずしもそうではないのだ。ミケランジェロ・アントニオーニが愛の不毛を描き出したのと同じ砂漠を舞台に、金庸の創作した登場人物が接木されるという、60年代香港の東西文化の奇妙な混交が、『楽園の瑕』の豊穣と混乱を規定しているのかもしれない。
『2046』がこれまでのウォン・カーウァイ映画の総括でもあり、解釈でもあるという也斯氏の見解はその通りだと思うが、一旦総括してしまったウォン・カーウァイは、これからどこへ向かおうとしているのだろうか。
(2005年2月21日)
text by イェン●プロフィール
大学で西洋の映画の講義などをするが、近頃では、東アジア映画(日本映画も含む)しか受け付けないような体質(?)になり、困っている。韓流にはハマっていない、と言いつつドラマ『大長今』(デチャングム)に熱中。中国ドラマ『射[周鳥]英雄傳』も毎回楽しみで、目下ドラマ漬けの日々。
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