ある日、ソウルの郊外で
あなたの「とっても好き」は何だろう。皆それぞれ「たくさん、色々好きなモノ」があるよね。その中で「とっても好き」「絶対好き」「何はなくてもコレが好き」のパワーが旅先で、思いもしない何かと出会うアンテナになる。それが、あなたしか拾えない旅の始まりとなる。
サッカー好き同士の、ひょんな巡り合わせで気がつけば、ナショナル・トレーニング・センターに着いていた。そう。韓国サッカー代表が合宿をするトレーニング・センターだ。特にサッカーが好きでなくとも2002年日韓共催ワールドカップを思い出せばあの熱狂的な「赤い応援」が目に浮かぶだろう。
国中の関心と期待を背負った「大極戦士」達がココで、日々闘いの準備をしていたかと思うと胸が熱くなる。
「わ〜 テレビで見たのと同じピッチ!」
呑気な気分で振り返るとトレーニング・センターから通りをはさんだ向こう側に兵士がひとり立っていた。そこは板門店ツアーの観光バスの出口ゲートだった。ライフル銃を手に警備を担当する兵士の彼は、とても幼い顔立ちだった。ソウルから電車でわずか1時間かそこらのトレーニング・センターの隣がもう韓国と北朝鮮とを隔てる共同警備区域(JSA)の片隅なのだ。
あの幼い顔立ちの彼に軍服姿は似合わない。軍事エリア隣りで、散歩をしている私も、何かおかしい。近くて親近感あふれる韓国で突如遭遇した「急には消化できない」場面。知識として知っていたつもりでも、直に目撃して初めて響く衝撃。本当の意味でこの状況を理解する日が私に来るだろうか。あの幼な顔の兵士は理解しているのだろうか。
帰り際。道の向こうに手を振った。ライフルを抱えたまま、彼は少し困った顔で手を振り返してくれた。もう一度手を振る。少し間があって、今度は照れた笑顔で手を振り返してくれた。私にとって確かなことはたったそれだけだった。でも、それが何故だかとっても嬉しくて、何度も何度も手を振った。
(2004年5月1日)
text by 龍玲花●プロフィール
東京都、荻窪生れ。韓国との第1種接近遭遇は、1997年サッカー韓国代表。以後、2000年から韓国映画が加わり現在は韓国映画とサッカー韓国代表との間をハートが往復する日々。「言葉は耳から覚える!」がモットーで、未だ読めるハングルは、選手名、チーム名、俳優名、映画のタイトルに食べ物…と偏りっぱなし。ミーハー体質のまま未来永劫突き進む所存也。
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