ガラスの向こうの中国
2005年5月11日。初めての中国は青島空港に降り立ちました。
4月あたりから、日中関係に関するニュースは穏やかでないものばかりで、まさかそのような時期にぶつかるとは予定外のことでした。何しろ、今回中国までやって来たのは観光が目的ではなく、勿論仕事でもなく、単純にサッカーの試合があるから。中国まで駆けつけてしまった私たちの脳裏にあるのは「この試合に勝利しないと、アジア・チャンピオンズ・リーグの予選敗退が決まってしまう」という1点だけだったのです。
そんな成り行きで中国に初上陸した私の中国に関する知識は、TVの旅番組やニュース報道以上のモノはほとんどないに等しかったのでした。
高速道路でのトイレ休憩時間に、売店を覗いてみました。「超市場(スーパー・マーケット?英語の直訳?)」だったか…店の入口にそう書かれていたのですが、どこの国でも、まず最初に飛び込みたいのがスーパーやコンビニ、市場です。もの珍しいお菓子やドリンクを手にして、私たち一行がレジに長い列を作ります。のんびり計算するんだろうな〜という予想に反して、列はサクサクと進むのでした。(さすが中国人、暗算が得意?)
空港からスタジアム、スタジアムから空港への往復とも、ツアーバスは警察の車両に先導されて高速道路を移動。いわばVIP待遇です。スタジアムでは圧倒的多数の警察官に包囲された状態で、ホテルでも警備担当者が1フロアに少なくとも2名は24時間体制で待機。道中、危険を感じるようなことは何もありませんでした。日本人に対して、万全の安全対策を講じてくれているのがよくわかりました。
ただ、これだけ「守られて」しまうと、夜の街に繰り出すことも、マクドナルドやケンタッキー・フライドチキンに行くことも、早朝の公園で太極拳をしている様子を覗くこともままならぬまま、試合の翌日(つまり到着した日の翌日)に中国を出国することに。安全が確保された代わりに、自分の肌で中国に接するチャンスがない日程となってしまいました。移動のバスの窓から見た中国。ホテルの部屋の窓から見た中国。ガラス越しでなく、もっと直接、中国の空気にふれたかったなあ。
青島空港の出国カウンターで、私のパスポートをめくって女性の係員が何事かを言いました。パスポートの最後のページにあるサッカー選手のサインを指さして、笑顔で私に話しかけています。言葉はわからないけれど、なんとなくわかるって時がありますよね。「うんうん、選手のサインなんですよ」と日本語で答えると、笑顔で「あ〜やっぱり?」みたいなことを(多分)言っていました。
初めて普通に中国の人と接触出来た瞬間は、まさに中国を出国する手続きの途中だったのでした。そして彼女の笑顔おかげで、今度は観光旅行という形でゆとりを持って、中国を知る旅がしてみたいな、という気持ちが湧いて来たのでした。国と国でなく人と人として。その時まで、再見!中国!
(2005年6月24日)
text by 龍玲花●プロフィール
東京都、荻窪生れ。韓国との第1種接近遭遇は、1997年サッカー韓国代表。以後、2000年から韓国映画が加わり現在は韓国映画とサッカー韓国代表との間をハートが往復する日々。「言葉は耳から覚える!」がモットーで、未だ読めるハングルは、選手名、チーム名、俳優名、映画のタイトルに食べ物…と偏りっぱなし。ミーハー体質のまま未来永劫突き進む所存也。
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