そしてアジョッシは「イチ、ニー、サン…」と数えた
サッカーや映画を通して韓国に興味を持つようになり「ぜひ、韓国に行きたい」と何度も訪韓してきました。そして、サッカーであればスタジアムや練習場、映画であれば舞台挨拶やロケ地巡りなどを訪ね歩きました。
何回か繰り返し行くことで、そうした「何かのゆかりの場所」の主だったところは見終わってしまいました。それでもなお、その後も韓国へ行きたくて仕方ない気持ちの根源は何なのだろう?と、その当時から今に至るまでを振り返ってみました。断片的に思い出されることを、少し書き連ねてみたいと思います。
駅で「切符10枚下さい」と言ったところ、駅員さんが最初は韓国語で「1、2、3…」と切符をカウントしてくれた上に、次は「ワン、ツー、スリー…」と英語で言ってみせて、更には「はい、イチ、ニー、サン、シー、ゴー、ロク…」と日本語で「1〜10」まで笑顔で数えて渡してくれました。「切符10枚下さい」の韓国語が通じるかな?とドギマギしながらだったのだけど、言葉が通じた以上に自分を受け入れてもらえた気がして、とても嬉しかったです。
地下鉄の階段で、大きなスーツケースを必死に持ち上げていたら、背後から来たスーツのビジネスマンが、無言ですっとスーツケースを持ち上げて階段の上まで持っていってくれ、「ここに置くよ」と言って去っていきました。「ありがとう」を言う暇もなかったけど、とってもありがたかったです。
小さな商店で、棚の上にあるチョコパイを指して「おばちゃん、あれ頂戴」と言ったら「アンタの方が背が高いんだから取って!」とひっぱたかれた(苦笑)。そりゃそうだよねえ。おばちゃんは小柄で、私の胸くらいまでしかないもの。こういうの、嫌いじゃないです(笑)。
地下鉄のホームで、おばちゃんから「○○駅に行くには何番ホーム?」と質問され、「えっと…わかりません!」と答えたら「あぁ。もういいわ!」と去っていきました。おばちゃーん! 私、観光客なんですー(苦笑)。
頼んだトッポギがとても辛くて、ヒーヒー唸りながら食べていたら、お店のおばあちゃんが箸持参でやって来て、食べている横で、お皿からひとつずつ唐辛子の欠片をつまみ出してくれました。いや、もう唐辛子を今さら取り出したところで、辛いことに変わりはないんだけれど…おばあちゃんの気持ちがね、胸に染みました。
どれも、これといった話ではないのだけれど、とても印象に残っていることばかり。「こういう事、日本でもあり得るかな?」と思うのです。あり得る事柄もあるだろうし、いや、日本じゃこれは起きないってこともある。それが良いとか悪いとかではなく、韓国で感じたことで、日本のことや日本人としての自分のことを、これまでになく考えるようになりました。
韓国以外の国、例えばアメリカやフランスや、タイやインドネシアでの体験からも、いろいろ考えさせられることはあります。ただ、韓国での体験がなぜか、自分を一番揺さぶります。その答えを求めて、また韓国へ行くのかもしれません。
(2006年8月30日)
text by 龍玲花●プロフィール
東京都、荻窪生れ。韓国との第1種接近遭遇は、1997年サッカー韓国代表。以後、2000年から韓国映画が加わり現在は韓国映画とサッカー韓国代表との間をハートが往復する日々。「言葉は耳から覚える!」がモットーで、未だ読めるハングルは、選手名、チーム名、俳優名、映画のタイトルに食べ物…と偏りっぱなし。ミーハー体質のまま未来永劫突き進む所存也。
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